世界の絶海の孤島、どのくらい陸地から離れているの?

「絶海の孤島」というと、本土(大陸)から離れ、また周囲にも他の島がない場所のこと。昔で言えば流刑で送られるような場所かもしれません。世界で最も大陸から離れた島は、モアイ像で有名な太平洋にあるイースター島。この島は南米チリのサンチャゴからは3700キロも離れています。今回紹介するのは、“2番目に大陸から遠い”と言われている大西洋の絶海の孤島、セント・ヘレナ島です。一番近い陸地はアフリカ大陸西岸で、2800キロも離れています。また、島の周囲が断崖で囲まれていることも、この島の孤立感をいっそう醸し出しています。とくに産業もないこの島ですが、みなさんは世界史の教科書で目にしたことがあるでしょう。そう、ナポレオンが晩年を過ごしたのが、この島なのです。

ナポレオンが島流しにされた、大西洋のセント・ヘレナ島はどんなところ? その1 ナポレオンが島流しにされた、大西洋のセント・ヘレナ島はどんなところ? その1

船の中継地として使われていたセント・ヘレナ

一世を風靡した皇帝ナポレオンですが、1814年にイギリス、プロイセン、オーストリア、スウェーデンなどの連合軍に敗北し、地中海のエルバ島に幽閉されてしまいます。しかしナポレオンはそこを脱出し、パリに凱旋。再び諸国との戦争になりますが、最終的には1815年のワーテルローの戦いで敗北。そこで今度こそ脱出できないようにと、この南大西洋のセント・ヘレナに島流しにされてしまいます。島は最初はポルトガル、次にオランダが訪れていましたが、1657年にイギリスが所有を宣言していました。島自体にこれといった特産物はなく、また平地が少なく大規模な熱帯プランテーション農業にも向いていなかったため、おもに航行の中継地点として使われていました。ポルトガル時代には、天正の少年使節も寄港したことがあります。

晩年のナポレオンが過ごした島

ナポレオンがセント・ヘレナに到着したのは1815年の10月。少数の随行員が同行していましたが、ナポレオンを監視するため多くの英国兵士も送り込まれ、ナポレオン自身の行動はかなり制限されていたようです。また、島の総督ハドソン・ローによるさまざまな嫌がらせもナポレオンの精神を苦しめました。兵士たちにはナポレオンを「将軍」と呼ばせ、暖房代を要求したり(暖に困ったナポレオンは家の家具を火にくべたりした)、主治医を帰国させたりしたそうです。1821年5月5日、ナポレオンは51歳で死去します。「毒殺」説も流れましたが、「胃がん」で亡くなったというのが死因の公式見解です。現在もセント・ヘレナは船でしか行けないので(2016年から航空便が就航予定)、そのナポレオンの史跡を訪ねて時おり観光客がやってくる以外は、 “絶海の孤島”として南大西洋に静かに浮かんでいます。(その2につづく)