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ナポレオンが島流しにされた、大西洋のセント・ヘレナ島はどんなところ? その1


掲載日:2015/11/18 テーマ:観光地・名所 行き先: 南アフリカ共和国 / ケープタウン

タグ: 史跡 歴史


世界の絶海の孤島、どのくらい陸地から離れているの?

ナポレオンが島流しにされた、大西洋のセント・ヘレナ島はどんなところ? その1 ナポレオンが島流しにされた、大西洋のセント・ヘレナ島はどんなところ? その1

「絶海の孤島」というと、本土(大陸)から離れ、また周囲にも他の島がない場所のこと。昔で言えば流刑で送られるような場所かもしれません。世界で最も大陸から離れた島は、モアイ像で有名な太平洋にあるイースター島。この島は南米チリのサンチャゴからは3700キロも離れています。今回紹介するのは、“2番目に大陸から遠い”と言われている大西洋の絶海の孤島、セント・ヘレナ島です。一番近い陸地はアフリカ大陸西岸で、2800キロも離れています。また、島の周囲が断崖で囲まれていることも、この島の孤立感をいっそう醸し出しています。とくに産業もないこの島ですが、みなさんは世界史の教科書で目にしたことがあるでしょう。そう、ナポレオンが晩年を過ごしたのが、この島なのです。

船の中継地として使われていたセント・ヘレナ

一世を風靡した皇帝ナポレオンですが、1814年にイギリス、プロイセン、オーストリア、スウェーデンなどの連合軍に敗北し、地中海のエルバ島に幽閉されてしまいます。しかしナポレオンはそこを脱出し、パリに凱旋。再び諸国との戦争になりますが、最終的には1815年のワーテルローの戦いで敗北。そこで今度こそ脱出できないようにと、この南大西洋のセント・ヘレナに島流しにされてしまいます。島は最初はポルトガル、次にオランダが訪れていましたが、1657年にイギリスが所有を宣言していました。島自体にこれといった特産物はなく、また平地が少なく大規模な熱帯プランテーション農業にも向いていなかったため、おもに航行の中継地点として使われていました。ポルトガル時代には、天正の少年使節も寄港したことがあります。

晩年のナポレオンが過ごした島

ナポレオンがセント・ヘレナに到着したのは1815年の10月。少数の随行員が同行していましたが、ナポレオンを監視するため多くの英国兵士も送り込まれ、ナポレオン自身の行動はかなり制限されていたようです。また、島の総督ハドソン・ローによるさまざまな嫌がらせもナポレオンの精神を苦しめました。兵士たちにはナポレオンを「将軍」と呼ばせ、暖房代を要求したり(暖に困ったナポレオンは家の家具を火にくべたりした)、主治医を帰国させたりしたそうです。1821年5月5日、ナポレオンは51歳で死去します。「毒殺」説も流れましたが、「胃がん」で亡くなったというのが死因の公式見解です。現在もセント・ヘレナは船でしか行けないので(2016年から航空便が就航予定)、そのナポレオンの史跡を訪ねて時おり観光客がやってくる以外は、 “絶海の孤島”として南大西洋に静かに浮かんでいます。(その2につづく)

※記事は掲載日時点での情報であり変更されている可能性もあります。ご了承下さい。(掲載日:2015/11/18)

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※この記事はガイドレポーターの取材によって提供された主観に基づくものであり、記事は取材時時点の情報です。
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