アンコールワットと並ぶ大遺跡

東南アジアを代表する大遺跡アンコールワットですが、これは世界遺産にも登録されている「アンコール遺跡」の中のひとつ。アンコール遺跡群の中には、もうひとつ、アンコールワットに匹敵する大遺跡があります。それが「アンコール・トム」で、アンコール遺跡を訪れるツアーには必ずここの観光が入っています。アンコールワットが単体の寺院であるのに対し、アンコール・トムは一辺3kmの城壁に囲まれた都城で、その中に王宮や複数の寺院があるプラン。その広さはアンコールワットの約4倍もあるので、ツアーの場合はポイントを絞っての観光となります。ちなみに「トム」はクメール語で「大きい」という意味です。

カンボジアの世界遺産「アンコール・トム」徹底解説 その1  仏教徒の国王が建設した都城 カンボジアの世界遺産「アンコール・トム」徹底解説 その1  仏教徒の国王が建設した都城

12世紀後半に即位した王ジャヤヴァルマン7世が建設

もともとアンコール・トムのある場所はクメール王朝の中心部で、以前からあった寺院などを取り込んで、12世紀末から都城の造営が始まりました。その半世紀前には、アンコール・トムの南1kmほどの場所に、アンコールワットが建設されています。1181年に王位についたジャヤヴァルマン7世は、クメール王朝初の仏教徒でした。しかしそれまでの国王はみなヒンドゥー教徒で、アンコールワットもヴィシュヌ神を祀るヒンドゥー寺院として建てられています。

敵を防ぐために張り巡らした城壁

ジャヤヴァルマン7世が即位した時期は、クメール王朝最大の危機の時代で、アンコールも隣国のチャンパ王国(現在の中部ベトナムにあった)の侵略を受けていました。そんな中、チャンパ軍を撃退して王位についたジャヤヴァルマン7世は、やがて逆にチャンパ王国に侵攻し、それを支配下に置きます。同時にジャヤヴァルマン7世は、チャンパの侵略によって荒廃した首都の再建を始めますが、再びチャンパ軍が侵攻した時のことを考えて、堀と高さ8mの城壁に囲まれた新たな都城を造るのです。これが、アンコール・トムなのです。アンコール・トムの総面積は900ヘクタール。一辺約3kmなので、一辺4km以上あった奈良の平城京よりは一回り小さいぐらいですね。ジャヤヴァルマン7世は、城壁の中には先代の国王たちが築いた寺院も残し、新たにその中心に仏教寺院の「バイヨン」を建設しました。

アンコール・トムの概要をつかもう

それでは、まずはアンコール・トムの概要をつかんでみましょう。外側はきっちりと東西南北の軸に合わせたほぼ正方形の城壁で、その各面の中央に4つの城門があるほか、イレギュラーな形で東面の北から1/4ほどの距離のところに「勝利の門」と呼ばれる門がひとつあります。この門から入り、西へまっすぐ進むと王宮の正面に出るようになっていました。アンコール・トムは、東西南北の城門から伸びる道によって4つに区切られますが、南側の2つのブロックには特に見るべき建築物はありません。つまり、観光名所は中央のバイヨンと北半分に集中しています。(その2に続く)