冬季五輪立候補地の張家口の旧市街を見に行く

恥ずかしながら、最近、初めて河北省の張家口に、戦前、戦中と2万人もの日本人が住んでいたことを知りました。張家口は北京から快速列車で約3時間半ほどのところです。韓国の平昌で開かれたあとの冬季オリンピックの候補地です。今のところ最有力です。オリンピックの開催地となることが決まれば、まだ、残っている旧市街が再開発で変わってしまいます。それで慌てて行くことを決定。張家口を調べているうちに日本人が住んでいたことがわかったのです。張家口は辺鄙な田舎でもないのに、外国人に開放されたのは90年代も半ばと遅い訳もわかりました。張家口には解放軍がいるからです。

河北省張家口に残る日本の足跡を探しに行く! 河北省張家口に残る日本の足跡を探しに行く!

戦前、戦中に張家口に住んでいた日本人は2万人!

張家口は南北に細長い町です。多くの列車は張家口南駅にとまりますが、町の中心は張家口駅付近です。旧市街とは「張家口堡(チャンジャーコウブー)」と呼ばれる一角。ここは明代の1429年から1581年にかけて築かれた要塞です。このひなびた旧市街にある四合院造りの家にも日本人が多くではありませんが、住んでいたそうです。張家口は海抜1400メートルもあり、北京よりずっと寒いところです。こんな寒いところに戦前、戦中と日本人が2万人も住んでいたなんて。

日本が残した塔は今や別の塔になっていた

張家口駅からバスで東に進むと「烈士陵園」があります。ここは戦中に日本軍が建てた「蒙疆忠霊塔」があったところと言われています。張家口は民国時代はチャハル省の省都でした。1937年8月9日から10月17日にかけて行われたチャハル作戦で亡くなった日本軍兵士を祀った塔です。日本の敗戦後、蒙疆忠霊塔は塔の台座部分を残して、中国の「革命烈士記念塔」に生まれ変わりました。ここで記念撮影していく中国人もいますが、誰もがそんなことは知らないはずです。

日本の神社は思いも寄らぬ姿に変わっていた

烈士公園の北側にまわると勝利公園です。この敷地内には昭和17年に大東亜戦争の完勝祈願を行った「蒙疆神社」跡があります。公園の一番奥にそれらしき建物がありました。ベージュの柱に生成り色の壁の建物がそうです。神社を思わせる屋根をすべて取り払っているので、中国人でここが神社だったとわかる人も皆無でしょう。今はほとんど使われていないようで、柱の塗料もあちこち剥げ落ちていました。張家口駅に戻りました。1945年の8月19日から21日にかけて、ここから日本人は荷物もほとんど持たずに引き揚げて行ったと言われています。張家口の旧市街を見ておく旅のつもりが、日本の足跡を巡る旅になりました。