龍渓古鎮から帰り道は、私が一番苦手とするパターン

「龍渓へは、朝7時半、9時、11時のバスがあるけど、帰りのバスの時間は、(行きのバスの)運転手に確認してね」と、巫渓客運中心バスターミナルで言われました。帰りのバスの時間がよくわからないって、一番苦手なパターン。龍渓(ロンシー)とは龍渓古鎮のことです。重慶市の東部、奉節から北にバスで約1時間のところに巫渓県があります。巫渓県の中心部からミニバスで約30キロ山中に入ると、龍渓古鎮が見えてくるはずです。車がぎりぎり2台通ることができる道路をミニバスは、ぐんぐん進んでいきます。「龍渓」の道路標識が出ている橋の前でバスが止まりました。たぶん、ここが龍渓古鎮です。

龍渓古鎮は、大寧河が大きく湾曲するところにある。河が堀の役目を果たしている。 龍渓古鎮は、大寧河が大きく湾曲するところにある。河が堀の役目を果たしている。

大寧河に周囲を囲まれた龍渓古鎮

龍渓古鎮は、バスを降りた橋の上から見えました。バスの運転手に確認した帰りのバスの時間は、9時半と11時、午後1時だそうです。とりあえず龍渓古鎮の観光スタート! 龍渓古鎮は、大寧河が大きく湾曲したところにあり、突き出した半島のような形をしています。南宋時代、蒙古軍が南下してきた時、南宋軍と南宋の民は、この地に天賦の城を築き、蒙古軍と戦ったと言われています。大きく湾曲する河に古鎮の周囲を囲まれた龍渓古鎮は、要塞とも言えます。清代になると、軍の駐屯地となり、軍と民の両方が住むようになり、「龍渓堡(ロンシーバオ)」と呼ばれました。

龍渓古鎮のメインストリート沿いにある供銷社趾。供銷社とは社会主義にまっしぐらだった頃によく見られた供給と販売に携わる組合のようなところ 龍渓古鎮のメインストリート沿いにある供銷社趾。供銷社とは社会主義にまっしぐらだった頃によく見られた供給と販売に携わる組合のようなところ

珍しい文革期の建物が残る古鎮の広場

龍渓古鎮に一歩足を踏み入れると、残念ながら住民があまり住んでいないことがわかりました。古鎮の真ん前に新しい町ができているのでそちらに移り住んでしまった可能性大。石畳の通り沿いには、中国が社会主義に邁進していた頃を連想させる建物が数多く残っています。供銷社、衛生局などです。また、小さな古鎮の広場には、文革期に使われた批判台が残っています。一見、舞台にも見えるここに、円錐形の紙の帽子をかぶらされ、両手を後ろ手にねじりあげられ、頭を紅衛兵に押さえつけられた人々が立たされました。「批闘台」と名付けられたこの台は、全国区でもほとんど残っておらず、かなり珍しいものです。

中国人旅行者は、両手を後ろ手にねじあげられ、頭を押さえつけられた「ジェット飛行機」と呼ばれるかっこうをして、台に登り、写真を撮るのがおきまり 中国人旅行者は、両手を後ろ手にねじあげられ、頭を押さえつけられた「ジェット飛行機」と呼ばれるかっこうをして、台に登り、写真を撮るのがおきまり

古鎮に迫る山と川が感動的に美しい龍渓古鎮

また、古鎮の中には、民国時代の洋館も数軒残っています。中でも最も大きなものが「中街蘇家洋房」です。かつての映画館らしき建て物もありました。中華民国時代、文革期の建物がどことなく哀愁を帯びていて、寂し気な雰囲気です。しかし、古鎮のバックに迫っている山や古鎮を取り囲む大寧河の景色は、何度見ても感動的な美しさ。巫渓からミニバスで約30キロ。本当に遠くにやって来たと感じる景色です。帰りは、もときた橋の手前に戻り、バスがやってくるのを待ちました。帰りのバスを待つのは、不安ですが、奉節から龍渓古鎮を見に巫渓県に行ってみませんか! 重慶から奉節もバスで片道約6時間30分と時間がかかりますが、龍渓古地の風景は、なかなか見られない美しさですよ!

中街蘇家洋房。民国時代、龍渓古鎮が大変栄えていたことがわかる 中街蘇家洋房。民国時代、龍渓古鎮が大変栄えていたことがわかる