重慶から巫渓の高速バスが到着したのは、新市街?!

いやあ、中国の内陸部にこんなに高層マンションがたくさん建っているなんて予想もしていませんでした。まさにこの姿が現代中国なんですが、旧市街がどこかにあるはず。中国西南部の大都市、重慶から三峡下りで有名な奉節を経由して巫渓県に到着しました。片道6時間30分、遠かったです。「巫渓客運中心」は、高速バスが発着するターミナルです。最近、大都市行きのバスが発着する高速バスターミナルは、郊外や新市街にあるケースが増えています。巫渓県もそのケース。旧市街が別の場所にあるはず。新市街からバスで15分ほど離れたところに、旧バスターミナルがあり、こちらは今、近郊の村へのバスターミナルになっていました。周囲の雰囲気は、旧市街と言うほどではないです。巫渓の旧市街って、いったいどこにあるの?

バスターミナルに近い橋から見た景色。新市街では、高層マンションが目につく バスターミナルに近い橋から見た景色。新市街では、高層マンションが目につく

巫渓県の旧市街は、いったいどこに?

巫渓は、三峡下りで知られる場所ですが、こんなに山が美しく見えるところだとは思いもよりませんでした。まずは旧市街に行き、長い歴史がある廟や建物を見て、巫渓がどんな町なのかを感じたい。でも、持って来た2冊のガイドブックでは、巫渓は簡単な説明程度。旧市街がどこにあるかなんて書いていません。もしかして旧市街が消滅してしまうほどの大規模な最開発があったの? 翌日、寧廠古鎮からの帰りに私が乗ったミニバスは、巫渓の近郊バスターミナルではなく、大寧古城と言うところに着いてしまいました。旧市街によく見られる楼閣があり、周辺の建物も相当年季が入っています。もしかして、ここが巫渓の旧市街じゃない?

大寧古城の広場で売っていた雑穀入りの饅頭(マントウ)。蒸しパンのようなもので、おいしい。1個1元(約18円) 大寧古城の広場で売っていた雑穀入りの饅頭(マントウ)。蒸しパンのようなもので、おいしい。1個1元(約18円)

後漢時代から始まった大寧古城の歴史

巫渓県は、民国時代につけられた新しい名前です。以前は大寧県と呼ばれていたそうです。間違えて乗ったバスが到着した大寧古城は、かつての県城、やはり旧市街でした。大寧古城は、大寧河と馬蓮渓に挟まれたところにあり、大きく曲がる二つの河に守られた要塞のような地形です。城壁が作られたのは、明代の正徳初期ですが、巫渓の歴史は、後漢までさかのぼります。後漢建安15(210)年、三国志で知られる劉備が荊州知事になった後、巫渓で産出される塩を有効的に利用するために、北井県を置きました。塩を産出する塩井があり、北にある塩井なので、北井県です。この北井県があった場所が、大寧古城です。巫渓は、後漢末期から数えて、ゆうに1800年以上の歴史がある古い町です。

大寧古城の解放街に残る「人民のためのサービス」と書かれた建物。90年代前半頃までは、中国各地で見られたが、今でも残っているところはかなり少ない 大寧古城の解放街に残る「人民のためのサービス」と書かれた建物。90年代前半頃までは、中国各地で見られたが、今でも残っているところはかなり少ない

次々現れる、昔懐かしい建物の連続

大寧古城のシンボルである拱辰門は、建て替えられたばかりのようですが、中心部の広場に足を踏み入れると、70、80年代の中国に迷いこんだような錯覚に襲われました。もう大都市では見られなくなった古いアパートが広場にありました。解放街を登っていくと、巫渓県重要文化財の認定を受けている「西門車站(西門バスターミナル)」が現れました。「偉大な共産党万歳!」、「偉大な毛沢東思想万歳!」の文字が大きく書かれた西門車站は、黄色い枠組みや柱上部の装飾が、オシャレ!「為人民服務(人民のためのサービス)」と書かれた建物も今では新鮮です。巫渓の旧市街がこんなにレトロでいい雰囲気だったなんて、得した気分。今、ちょっと昔の町並を「オシャレ」と感じる人が増えてきています。巫渓県は遠いですが、ちょっと昔の町並好きなら、行ってみませんか!

西門車站(解放街130)は、社会主義まっしぐらだった頃の中国の建物。こんなにレトロな建物が残っているところは珍しい 西門車站(解放街130)は、社会主義まっしぐらだった頃の中国の建物。こんなにレトロな建物が残っているところは珍しい