過橋米線の発祥の地は、蒙自? それとも建水?

こってりした鶏ベースのスープと豚肉や鶏肉の薄切り、うずら卵、米線(米粉)が全て別々に出てきます。食べる時に、まずは具をスープに入れ、最後に米線を入れて食べます。これが中国西南部の雲南省名物の「過橋米線(クオチャオミーシェン)」です。最近は、中国全土どころか、日本でも食べられるようになってきました。「悦食」6号(北京悦之年文化産業有限公司発行)と言う、食をテーマとした中国の雑誌を読んでいたら、びっくりすることが書いてありました。「一碗過橋米線的満足感(一杯の過橋米線の満足感)」という特集記事の中の「蒙自と建水で発祥の地を争っている」という部分に思わず、目が釘付け! ええっ! 発祥の地は、蒙自じゃないの?

大きな丼には、鶏ベースのスープ。最初に米線を入れると、スープの温度が下がるので、まずは、具から 大きな丼には、鶏ベースのスープ。最初に米線を入れると、スープの温度が下がるので、まずは、具から

あまりにも有名な蒙自の若夫婦の物語

過橋米線の米線は、米で作った米粉(ビーフン)のことで、雲南省一帯では、米線(ミーシェン)と呼びます。おもしろいネーミングの料理なので、雲南省に行ったことがある人なら、どこかで過橋米線の物語を耳にしているはず。それはこんな物語です。雲南省南部の蒙自に科挙の試験勉強に励む夫を持つ妻が住んでいました。食事をとることを忘れてしまう夫が、いつでも熱々を食べられるように、妻は、冷めにくいように表面にぶ厚い脂の膜がはったスープを作り、具と分けて運んだという話です。妻は、夫がいる池の中に建っている東屋に行く時、橋を渡っていったので、過橋米線の名がつきました。この話があまりにも有名なので、蒙自こそが過橋米線発祥の地でした。まさか建水発祥の地説があったなんて!

蒙自で私が食べたのは10元(約170円)のもの。これでも十分豪華! 蒙自で私が食べたのは10元(約170円)のもの。これでも十分豪華!

初めて知った、建水発祥の地説

「悦食」6号の特集記事には、「蒙自側は、私たちには、夫婦の愛の物語があると言い、建水側は私たちには道理もあれば、証拠もあると主張」と書かれています。建水側の証拠とは、これも物語です。清の咸豊年間、建水城の東門外にある食堂に元官僚の李さんが通っていました。李さんは、北京で官僚をしていたので、北京名物の羊のしゃぶしゃぶを食べるように、米線の具の豚や鶏をスープにくぐらせて食べていました。食堂経営者の劉家慶氏が、食べ方を教えてほしいと頼むと、李さんが「私は、建水城外の鎖龍橋を渡って米線を食べにくる。米線をお碗のスープにくぐらせるのも、橋を渡るようなものだ」と言ったそうです。それで劉氏は、過橋米線を自分の食堂のメニューに加えたと言う物語です。

建水のシンボル、朝陽楼。明の洪武22(1389)年に建てられたもので、北京の天安門に似ていることでも知られている 建水のシンボル、朝陽楼。明の洪武22(1389)年に建てられたもので、北京の天安門に似ていることでも知られている

蒙自発祥の地説が定着した理由

中国人で建水発祥説を知っている人は、ほとんどいないのでは? それぐらい建水発祥説は、マイナー。特集では「建水発祥説のほうが、より歴史にそっている。蒙自は有名になった地」としています。過橋米線が知られるようになったのは、蒙自が海外に開放された年です。1885年、清とフランスの戦争が終結し、1889年に清は、条約通り蒙自を開放します。雲南地区に唯一の税関が出来、各国の大使館や商社が集まってきました。その頃の建水は、雲南地区における明清代の政治の中心とはいえ、日の出の勢いの蒙自には、負けています。だんだんと「過橋米線は、蒙自発祥と言うことにしておこう」になったそうです。実際、2012年に蒙自に行った時、「早点一条街」と呼ばれる通りには、過橋米線のお店が並んでいました。いかにも蒙自は、過橋米線発祥の地という感じです。建水には、そんな通りもなく、「建水こそが発祥の地」をアピールするものは全くなし。とにかくのんびりした古い町なのです。だから私は、建水が大好きなんですが、まだ、建水で過橋米線は、食べたことがありません。今度、建水に行ったら、元祖過橋米線を食べてみようかな。

2012年に中央電視台で放送された食のドキュメンタリー番組で建水のカオ(火へんに考)豆腐がとりあげられたこともあり、最近、建水名物として有名なのは、こちら 2012年に中央電視台で放送された食のドキュメンタリー番組で建水のカオ(火へんに考)豆腐がとりあげられたこともあり、最近、建水名物として有名なのは、こちら