知名度の高さなら一番の百順胡同

「八大胡同 前編」からの続きです。八大胡同の中では、陝西巷と並んで有名なのが百順胡同です。ここは梅蘭芳など、名だたる京劇俳優が住んでいたことで知られています。百順胡同49号は、かつての妓楼です。四合院造りの平屋が並ぶ通りに2階建の建物がポツンポツンと混じっています。そこが妓楼や賭博場だったところです。八大胡同は、伝説となった賽金花、小鳳仙など、「南班」と呼ばれる南方出身の女性が多くいました。南方出身の女性は、北方の女性に比べて、やわらかい雰囲気があると考えられ、北では好まれたのです。そんな中で百順胡同は、「北班」と呼ばれる北方出身の女性たちが集まる妓楼が何軒か集まっていたことでも知られています。

装飾が美しい百順胡同9号。周辺には、いくつか妓楼旧址が残っているが、どこがかつての日本人経営かは、わからなかった 装飾が美しい百順胡同9号。周辺には、いくつか妓楼旧址が残っているが、どこがかつての日本人経営かは、わからなかった

八大胡同の中では、ちょっと異色の韓家胡同

百順胡同の1本北側にある通りが韓家胡同です。今では、普通の下町になってしまっていますが、ここは、男娼が多くいた場所です。日本風に言えば、陰間茶屋通りだったと言われています。当時、男娼と言えば、京劇の俳優がつとめることがありました。カンヌ国際映画祭でパルムドールを獲得した中国映画「覇王別姫(日本公開名は、さらば、わが愛)」にも出てきましたが、京劇の女形が、男娼の役割をすることは、珍しくないことでした。江戸時代の歌舞伎の世界にもあったといわれています。京劇俳優が多く住んだ百順胡同の目と鼻の先の韓家胡同が男娼街だったことは、深い関係があると言えます。

韓家胡同に残る、かつて妓楼だったと言われる建物。妓楼の名前が書かれた部分が白く塗られている 韓家胡同に残る、かつて妓楼だったと言われる建物。妓楼の名前が書かれた部分が白く塗られている

おすすめ! 聚宝茶室に行ってみよう!

韓家胡同から陝西巷に戻り、1本東側の石頭胡同に入っていきましょう。このあたりは、どこも四合院造りの平屋が続く下町です。石頭胡同からさらに2本東側にある朱茅胡同に入っていきます。朱茅胡同は、八大胡同には含まれていませんが、八大胡同と言ってもいいようなところです。道幅わずか2.3メートルの路地には、中級から下級の妓楼が多く集まっていました。朱茅胡同9号は、「聚宝茶室」旧址です。外観の保存状態が非常にいいので、必見ですよ。かつての妓楼のような建物は、歴史上の人物の住居と違って、保存が非常に難しいです。妓楼跡地が公衆トイレになっている所もあるぐらいなので、聚宝茶室は、まさに奇跡的です。

聚宝茶室は、外観は問題なし。内部は、住人にことわってから見せてもらいましょう 聚宝茶室は、外観は問題なし。内部は、住人にことわってから見せてもらいましょう

胡同巡りの三輪車が走りまわっている八大胡同

清末から民国時代にかけての最盛期には、八大胡同には、高級妓楼の清吟小班が45軒、中級の茶室が60軒、下級の下処が190軒、さらにランクが下がる小下処が30軒もあったと言われています。妓女たちは、全部で3752人もいたそうです。現在の八大胡同は、普通の下町です。胡同観光の三輪車が走りまわり、高級妓楼だった上林旅館などは必ず停まるポイントになっています。実は、今、中国は民国ブームです。言論やインターネットなどの締め付けが年々、厳しくなり、比較的自由だった民国時代を懐かしむ声が高まったことが原因です。三輪車の胡同観光と言えば、故宮に近い后海周辺がメインでしたが、最近では、八大胡同を観光する人が増えてきました。民国時代の建物が残っている八大胡同が注目されつつあるのは、民国ブームと関係があるかもしれません。私たちも清末から民国時代に栄えた、かつての遊郭跡を見にいきませんか!

陝西巷を走る胡同観光の三輪車。左側に見える建物が上林旅館 陝西巷を走る胡同観光の三輪車。左側に見える建物が上林旅館