老重慶を求めて下浩老街へ

2017年3月に訪れた時は、まだ、住人が住んでいて、人気の火鍋屋さんも営業していました。2018年3月にやって来ると、もうほとんどの住人が引っ越してしまい、空き家だらけになっていました。現在、残っているのは、根性で営業している(?)観光客向けの食堂や茶館ばかり。私が好きな重慶がまた、一つなくなろうとしています。私がやってきたのは、中国西南部の大都市、重慶市の南岸区にある「下浩老街(シャーハオラオジエ)」です。下浩老街は、長江にかかった東水門大橋のちょうど東の橋頭に近い場所にあります。この辺りは、「老重慶(ラオチョンチン)」と呼ばれる、昔懐かしの重慶の雰囲気が残っている下町です。

わずかながら営業している観光客向けの食堂は、大繁盛! わずかながら営業している観光客向けの食堂は、大繁盛!

「老重慶」とは、どんな風景?

「老重慶」と言えば、重慶中心部の渝中区にある「十八梯(シーバーティ)」や「山城歩道(サンチョンブーダオ)」が有名でした。2018年3月現在、十八梯は、すでに更地になり、山城歩道は、下浩老街と同じく住民は、ほぼ立ち退いています。老重慶とは、70、80年代の発展する前の重慶です。平地が少ない重慶では「吊脚楼」と呼ばれる、山や崖に寄り掛かった作りの民居が一般的でした。通りでは、竹や木で作った椅子に座って、カード遊びをする人の姿が見られました。現在の重慶は、針山のように高層ビルや高層マンションが立ち並んでいます。急速に発展したので失ったものも大きく、重慶人は、昔を懐かしむ気持ちが強いのかもしれません。

2017年3月は、まだ、多くの住民が住み、普通の生活があった 2017年3月は、まだ、多くの住民が住み、普通の生活があった

1891年からの下浩老街の歴史とは?

下浩老街の歴史は、重慶の開放から始まります。1891年、清朝政府は、欧米列強の圧力により、重慶の港を開放しました。長江の南岸にある下浩老街は、かつては龍門浩埠頭に通じる通りでした。長江沿いの埠頭は、貿易港でもあり、欧米列強の「洋行」と呼ばれる商社が進出して来ました。下浩老街は、次第に当時最大の商社が集まって来るようになり、一大商業地になったところです。今も下浩老街には、永興洋行の高級社員の住宅だった洋館が残っています。時代が変わり、人力や水運が主要な輸送手段ではなくなりました。下浩老街は、1980年代から衰退していったと言われていますが、96年に龍門浩埠頭が閉じられたことが決定的なものとなりました。

周辺は、再開発でなくなるが、「永興洋行高官住宅」は、保存が決まっている 周辺は、再開発でなくなるが、「永興洋行高官住宅」は、保存が決まっている

現在の下浩老街は、若者のインスタ映えスポット?

かつて繁華街だった下浩老街には、どこか華やいだものが残っているように思えます。そのノスタルジックな町並にカラフルなイラストが描かれ、おもしろい雰囲気になっています。洋館と伝統家屋が残る風景を撮りたい写真撮影好きが集まるスポットでしたが、最近は、若者に人気のスポットにもなっています。カメラを持った女の子たちが、写真を撮り合う姿が目につきます。わずかに残った住人が「老重慶」の最後の姿を見にやってくる旅行者向けの茶館や甘いもの、麺類のお店を営業しています。下浩老街では、旧永興洋行跡地の保存は決まっていますが、それ以外の民居が壊されることも決まっています。とにかく1日も早く下浩老街を見に行くのがおすすめです。

古い民居に描かれたカラフルなイラストが、下浩老街を芸術的な空間にしている 古い民居に描かれたカラフルなイラストが、下浩老街を芸術的な空間にしている