大連に懐かしの日本を探しに行ってみよう!

「三船敏郎のお父さんの写真館があったビルはどれ?」。それらしきビルがいくつもあって、なかなか見つかりません。どれも古びているので、周囲の建物からは浮いてます。それでも、かつてはものすごくかっこいい建物だったんだろうなあということは、今でも充分伝わってきます。中国の東北地方の港町、大連は1900年代の約40年間、日本の関東州でした。大連の町には、今も日本が建てた建築物が残っており、政府や金融機関だった建物は今も現役バリバリです。大連の日本の建築物を語るとき、市内中心部の中山広場は外せません。大和ホテル、横浜正金銀行大連支店、大連市役所など、当時を代表する建物が集まっています。

東関街は周辺を高層マンションやオフィスビルに囲まれている 東関街は周辺を高層マンションやオフィスビルに囲まれている

名優、三船敏郎のお父さんの写真館を見に行こう!

これらの建物はどれも市の重要文化財になっており、今後も保存が約束されています。だから、今、慌てて見なくても大丈夫。問題は商店や社宅、個人の住宅などです。再開発でドンドン消えていっています。東京の上野駅を模して建てたと言われる大連駅の西側の「連鎖街」から見て行きましょう。3階建てで、細長い窓が多いオフィスビルが今も残っている地区です。1929年に誕生し、終戦まで、ここは銀座通り、心斎橋通りと呼ばれていました。当時は大連の最も華やかな場所だったに違いありませんが、現在は金物屋街になっています。ここに映画俳優として有名な、三船敏郎のお父さんが開いた「スター写真館」もありました。

日本人が多く住んでいた南山と沙河口

中山広場の南側に位置する南山も日本人が多く住んでいた地区です。ここには、お屋敷風の1軒家や満鉄の集合住宅が残っています。煉瓦作りの低層住宅などは、古びてはいますが、今も中流階級の人たちに大切に住まわれている様子が見られます。そのため、まだしばらく日本人街の雰囲気を楽しめそうな感じがします。危機的状況にあるのは、沙河口駅周辺です。三角屋根の沙河口駅は日本人が建てた駅ですが、周辺には、日本を感じさせるものは、ほとんど残っていません。駅の南側の興工北七街通りに、木造のベランダを持つ満鉄の社宅が数軒残っているだけです。

路面電車で行く「東関街」は穴場!

空き家が多く、かなり危機的状況にあるのは「東関街」です。大連駅前から201路の路面電車に乗れば、次の駅が東関街です。路面電車を降りた瞬間に、別の時代に紛れ込んでしまったような雰囲気です。2、3階建ての石や煉瓦造りの洋館は、モダンな雰囲気だったのでしょうが、今は見る影もありません。低所得の人が多く住み、どの家も周辺にいろんな物が積み上げられ、おざなりな感じです。それでも昭和な雰囲気が漂う洋館の数が多く残っているので、懐かしさにひたれる場所です。大連で日本の建築巡りをするのなら、やはり早く行くのがおすすめです。今のうちに見ておかないと、いつ、無くなるかわかりませんよ!