日本人にとって特別な思い入れがある町、大連

今、見ても全く古臭くないどころか「あの時代によくこんな構造を思いついたなあ」と感動です。中国東北部にある遼寧省が日本の統治下におかれていた1937年、大連駅は完成しました。1階が到着、2階が出発と、空港のような構造になっており、外観は東京の上野駅がモデルだと言われています。大連は、日本人にとって特別な思い入れがある町です。うれしいことに今も日本各地から直行便があるので、到着したその日から大連の街歩きを始められます。沿岸部の大連は、寒さの厳しい東北地方の中でも温暖な気候です。最も暑い8月の平均気温は、約24度と日本とは比べようもないぐらい過ごしやすいです。今年の夏休みは、涼しい大連で日本人の足跡巡りをしてみませんか!

80年も前に建てられたようには見えない大連駅。毎日約80本もの旅客列車が発着しています 80年も前に建てられたようには見えない大連駅。毎日約80本もの旅客列車が発着しています

大連の顔は、今も昔も中山広場!

大連観光は、中山広場からスタート! ここは日本時代は「大広場」と呼ばれ、当時も現在も大連の顔と言うべき広場です。旧大連市役所、旧横浜正金銀行などの日本時代を代表する豪華な欧風建築が集まっています。これらの建築物は現在も使われており、まさに現役バリバリです。当時の最高級ホテルだった旧大和ホテルも中山広場にあり、現在は、大連賓館になっています。中山広場から東に延びる魯迅路に入ると、南満州鉄道会社、通称満鉄と係りがある建築が並んでいます。旧満鉄本社、旧満鉄大連図書館、旧満鉄写真倶楽部などで、満鉄ファンならぜひとも行ってみたいところです。

中山広場に面した旧大和ホテル。世界各地に建てられた大和ホテルの中でも、最も格が高かったと言われています 中山広場に面した旧大和ホテル。世界各地に建てられた大和ホテルの中でも、最も格が高かったと言われています

日本人の足跡巡りをするなら、連鎖街に行こう!

中山広場から西に約400メートルも歩けば、大連駅前です。大連駅の東側の部分は、旧日本人街の連鎖街です。日本を代表する俳優だった三船敏郎さんのお父さんが経営していた写真館があった場所です。当時は、ここに自分のお店を持つのが最大のステイタスだったと言われる連鎖街ですが、現在は、安食堂と小さな商店が集まる、寂れた商業区になってしまいました。日本時代の建物も重要文化財の認定を受けているようなものはなく、かつてはモダンだった建物も古びたままになっています。中山広場周辺の豪壮な建築物は重要文化財になっているので、来年も再来年も見られます。しかし哀愁漂う連鎖街の建物は、明日にも再開発の計画が持ち上がってもおかしくありません。

残念ながら東関街は、再開発計画に含まれてしまいました 残念ながら東関街は、再開発計画に含まれてしまいました

重要文化財の認定を受けていない建物を見に行こう!

それなら重要文化財の認定を受け、保存が決まっている建物ではなく、いつ、取り壊されるかわからない日本時代の建物を見に行きませんか? 大連駅前から日本時代も走っていた路面電車に乗って、次の「東関街」で降りてみましょう。ここも日本人街でしたが、現在は、出稼ぎにやってきた地方都市の人が多く住む地区になっています。空き家率も高いのですが、煙突がある民家が一帯に残っています。また、中山広場から南山方面に行くバスで「七七街」で降りれば、満鉄の幹部社員が住んでいた高級住宅街です。旧日本人街は、年々取り壊されているので、見られる時に見ておきたいものです。今年の夏は、涼しい大連に日本の足跡を探しに行ってみませんか!

南山の満鉄幹部社員が住んでいた地区は、比較的多くの戦前の日本人の家が残っているところです 南山の満鉄幹部社員が住んでいた地区は、比較的多くの戦前の日本人の家が残っているところです