広州市内で見かける重々しい雰囲気の建築物

中国南部の広東省の広州は、騎楼建築の街並みが美しい町です。「騎楼」とは、1階がアーケードになっている石造りの低層建築です。中国の建物なのに騎楼はどこか洋風でモダンな感じがします。様々な騎楼が集まる広州市の越秀区や茘湾区の街並みの中に、なんだか変わった建物が混じっています。まっすぐストンとした長方形の建物には、妙に小さな窓がいくつも並んでいます。重苦しい雰囲気が監獄みたい。この建物は「典当大押」の楼閣です。

今ではほとんど残っていない、広州典当(質屋)楼閣の歴史を知る 今ではほとんど残っていない、広州典当(質屋)楼閣の歴史を知る

典当とは、いったいどんな業種?

「典当大押」や「典当」とは質屋です。中国全土に典当はありますが、広州の典当の建物は独特です。広州の典当行(業)が栄えたのは、清朝末期から中華民国初期までです。全盛期と言われる1885年には、広州には400軒もの典当があり、監獄のような典当の楼閣が230棟以上あったと言われています。その頃は「米屋よりも質屋のほうが多い」と言われるような時代でした。当時は高層ビルなどなかったので、低くても5、6階、高いものなら7、8階あった典当の楼閣は、かなりの威圧感があったと思われます。そんな典当の楼閣も再開発で消えて行き、今では広州市内にたった4棟しか残っていません。

典当の楼閣の窓が見ように小さい訳

典当の楼閣で旅行者が行きやすいのは、「宝生大押(茘湾区中山七路22号)」です。にぎやかな中山七路の北側に建つ、灰色の要塞のような建物です。通りの雰囲気から浮き上がった宝生大押は、1885年頃の広州の三大典当の1軒です。小さな窓は通気のためであるのはもちろんのこと、盗賊の侵入を防ぐためです。情勢不安定な時代でもあったので、ここから銃を撃ち、楼閣を守る役目も持っていました。見た目だけでなく、本当に要塞の役目も果たしていたんですね。

「大東門」典当博物館に行ってみよう!

次に「大東門当鋪(越州区中山四路1号)」に行ってみましょう。中山四路の繁華街の南側に建つ大東門当鋪は、現在は典当博物館になっています。中に入ると、広州の典当行の歴史の説明が展示されています。また、当時の典当の様子もそのまま残っています。一段高いところに、鉄格子で隔てたカウンターがあります。質草を預かり、お金を貸す業務が行われていたところです。「東平押」と印刷された証文も売られています。日中戦争が始まると、中華民国の貨幣価値が暴落し、典当は大きな打撃を受けました。その後、近代的な銀行が確立するにつれ、典当はすたれていったといいます。広州でしか見られない典当の楼閣は、建築好きなら必見ですよ。