植民地旅情を感じる、中国の騎楼建築

中国なのにヨーロッパのような町並! しかし青島のドイツ租界や上海の欧米列強の租界とは、雰囲気が異なります。広東省や広西壮族自治区には、「騎楼(チーロウ)」と呼ばれる欧風建築が数多く残っています。これは中国南部の雨の多い地方で見られる建築物なので、南国風です。どこが南国風かと言うと、1階部分がアーケードの商店街になっています。屋根付きの廊下だから、雨が降っても大丈夫。2階以上が住居スペースになっている建物です。中国以外では、東南アジアや台湾でもよく見られるスタイルですね。騎楼が建てられたのは、19世紀末から20世紀半ば頃までなので、私は騎楼を見ると、植民地の旅情を感じます。

梧州の南環路に残っている騎楼建築 梧州の南環路に残っている騎楼建築

梧州の騎楼城に行きたくなった理由

広東省広州で騎楼が集まっているのは、「西関大屋」と呼ばれる地区です。旧市街にあり、ここには清朝末期から民国時代にかけて対外貿易を一手に握った大商人の子孫たちが建てた騎楼建築が残っています。騎楼建築が並ぶ通りは、「騎楼城」と呼ばれるのですが、中でも最大規模と言われているのが、広西壮族自治区にある梧州です。大東上路、大東下路、大南路、大同路など、22本もの通りに騎楼が並び、その長さを合わせると7キロ! 最長の通りは、2530メートルにも及び、約560棟もの騎楼が今も残っています。ここまで騎楼が並んでいる風景は、他にはありません。私はどうしても梧州の騎楼城が見たくて、行ってしまいました。

河浜公園から見た梧州。西江(橋がかかっていないほう)沿いに国際貿易港が作られました 河浜公園から見た梧州。西江(橋がかかっていないほう)沿いに国際貿易港が作られました

梧州騎楼城の歴史を知っておこう!

梧州は、紀元前183年にはすでに町が作られていたと言う、古い歴史の町です。清朝末期の光緒23年(1897年)に清朝政府とイギリスは条約を結び、梧州を対外貿易港として開くことを決定しました。この条約によって、梧州は、商業都市として成長していくことが約束され、中国人をはじめ欧米人がこぞって騎楼を建てました。それが現在の騎楼城の始まりです。ただ、1924年末に「特大火災」と記録されるほど、大きな火災が梧州で起きました。この時に1000年の歴史があると言われた門や城壁が取り払われ、大きなスペースができました。よって騎楼城の建設が、一層進んだと言われています。

河浜公園には、かつてのイギリス領事館だった建物が残っています 河浜公園には、かつてのイギリス領事館だった建物が残っています

梧州の騎楼城見学の様子は?

梧州の騎楼城は、とにかく広いので、まずは、騎楼城の牌楼(門)がある大南路、大東上路、大東下路のあたりを歩いてみました。ピンクや水色に塗られた騎楼が並んでおり、どことなく南仏風? ただ梧州は、中国人の観光客が多く訪れる観光地ではありません。騎楼城は、梧州観光の目玉になってもよいはずですが、地元の人も市の観光に携わる部署の人もそのPRにはあまり取り組んではいません。わたしが悔しかったのは、騎楼が並ぶ美しい通りの真ん中に露店が並んでおり、騎楼のいい写真がなかなか撮れなかったこと。露店がない通りは、ほどよく味があり、そこではいい写真が撮れました。観光がメインの都市ではない梧州騎楼城ですが、中国の建築好きなら、楽しめるはず。梧州へ行ってみましょう。

騎楼城の中心部は歩行者天国になっており、露店だらけ。この露店、なんとかしてほしいです! 騎楼城の中心部は歩行者天国になっており、露店だらけ。この露店、なんとかしてほしいです!