広西壮族自治区東部にある、騎楼で知られる街とは?

街を歩いていると、ちょっと昔の中国に迷い込んだような不思議な感じがします。ちょっと昔とは、欧米列強の租界があった清朝末期以降です。それも北方ではなくて、南方の中国です。というのも町並みを作っている建物がどれも「騎楼(チーロウ)」だから。騎楼は、広東省や広西壮族自治区に残っている欧風建築です。アジアと欧風の折衷建築と言ったほうがいいかもしれません。雨が多い地方に適した構造で、1階部分がアーケードになっています。中国南部でよく見られる建築様式なので、騎楼があれば、ちょっと昔の南方の中国を歩いている気になります。私が訪れたのは、広西壮族自治区の中でも最も東に位置する梧州です。

梧州の騎楼城。梧州は広州から高速鉄道で約1時間50分。1日に50本以上もあるので、日帰りもできる 梧州の騎楼城。梧州は広州から高速鉄道で約1時間50分。1日に50本以上もあるので、日帰りもできる

梧州に騎楼が集まっている理由

広西壮族自治区の観光地と言えば、水墨画の世界が広がる桂林が有名です。梧州は、観光地としては無名ですが、人工宝石の産地として知られています。梧州の名所旧跡と言えば、旧市街の「騎楼城」です。城と呼べるほど、騎楼建築が残っています。ただ、騎楼は広東省各地で見られるので、広東人をはじめとする南部の人にとっては、特に珍しくはありません。そのため梧州って、観光客が本当に少ない。梧州に騎楼が建てられたのは、清末の光緒23(1897)年、清朝政府が梧州を対外に貿易港として開放することを決定したからです。欧米や中国の貿易商が、梧州を訪れ、騎楼を建てたことが始まりです。それが、今では梧州の財産になっています。

大東上路、大東下路、大同路、大南路など22本もの通りに、あわせて7キロにもわたる騎楼が残っている 大東上路、大東下路、大同路、大南路など22本もの通りに、あわせて7キロにもわたる騎楼が残っている

梧州の騎楼を代表する新西旅館

梧州は、桂江を挟んで東西に分かれています。騎楼城がある旧市街は、東部のほうです。桂江にかかる鴛江大橋を渡れば、もう騎楼城が始まっています。新市街から鴛江大橋を渡ると、すぐ左側に7階建てのひときわ豪華な騎楼が見えてきます。ここは、かつての新西旅館です。1930年代、新西旅館は、梧州の最高級ホテルでした。国民党時代を代表する殺し屋で、蒋介石や汪兆銘を暗殺しようとした王亜樵が、逆に暗殺された場所として知られています。新西旅館がある大南路を北に進むと、大東上路に出ます。この通りは、騎楼城のメインストリートとも言うべきところです。通りの真ん中に屋台が出ており、ヨーロッパのようなマルシェのような雰囲気が漂っています。

新西旅館(西江一路14号)。騎楼博物館にするための工事中だと言われているが、工事は止まったままらしい 新西旅館(西江一路14号)。騎楼博物館にするための工事中だと言われているが、工事は止まったままらしい

近代史の有名人が泊まった大同酒店旧址

大東上路を東に向かって歩くと、大同路と交わります。大同路を南に下がり、路地に入ると、すぐに大同酒店旧址があります。1920年代に広東人の貿易商に建てられた高級ホテルだったところです。マルクスレーニン主義者、革命家、後の中華人民共和国の主たる指導者など、そうそうたる人物が泊まっています。その中で最も有名なのが周恩来です。今では、見る影もなく、低所得者が住むアパートになってしまっていますが、1930、40年代は、中国の近代史に欠かせない人物が、暗躍した場所でもあります。梧州って、海外に開かれた貿易港でもあり、上海と同じような魔都だった気がしてきませんか? 広州からも近く、昔懐かしくて、どこか危険な香りがする梧州の騎楼城、おすすめですよ!

大同酒店旧址(大同路35号)。中に入ると中庭があり、ここから中を見ると、わずかながらかつての優雅さを感じられる 大同酒店旧址(大同路35号)。中に入ると中庭があり、ここから中を見ると、わずかながらかつての優雅さを感じられる