歩いていると、突然、歴史建築が現れる広州

広州って、大都会なのに大通りからほんのわずかに外れるだけで、「広州市文物保護単位(広州市重点文化財)」などと書かれた表示がある建物群などが現れます。あまりにも突然なので、旅行者は不意打ちを食らったような感じ。広州市は、中国南部の経済の中心ですが、歴史建築が市内中心部のあちこちに残っています。茘湾区の「聚龍村」もまさに大都会のど真ん中に、ひょっこり現れる歴史建築群です。私が訪れた2012年秋は、注目されていないのか、観光客の姿もありませんでした。しかし2018年には、中国のサイト上で聚龍村を眼にする回数が増えました。もしかしたら、街歩きスポットとして人気が出て来たのかもしれません。

地下鉄1号線「芳村」駅前の芳村バス停から64路、206路、312路で「鶴洞新村」下車。西に徒歩5、6分で到着 地下鉄1号線「芳村」駅前の芳村バス停から64路、206路、312路で「鶴洞新村」下車。西に徒歩5、6分で到着

日本人には、わかりにくい「青磚」の村

聚龍村があるのは、茘湾区芳村です。茘湾区でも西関大屋、陳家祠など有名どころの名所旧跡があるのは、広州中心部を東西に流れる珠江の北側です。芳村は、珠江の南側にあります。聚龍村は、芳村からバス1本の便利な場所にあります。「鶴洞新村」のバス停で降り、そこから大通りから離れる方向に向かって歩けば、灰色の煉瓦造りの建物群が現れます。ここが聚龍村です。中国では、灰色の煉瓦は、青みがかっているように見えるのか「青磚」と言います。聚龍村は、この青磚を使って、建てられた21棟ものお屋敷群です。

日本人には、灰色にしか見えないが、これが青磚。黒枠の窓がおしゃれ 日本人には、灰色にしか見えないが、これが青磚。黒枠の窓がおしゃれ

聚龍村の名前に「龍」が使われている理由

聚龍村は、清代末期の光緒5(1871)年、広東省の台山からコウ(廣の右におおざと)氏がやって来たことから始まります。コウ氏は、当時、川沿いの砂地だったこの地を買い上げ、村を築いていきます。また、村は、龍の背骨を意味する「龍脈」という、非常に運気が良い土地だったので「聚龍村」と名付けらまれました。そのためコウ氏一族が集まってきて、大変栄えた村でした。今のひっそり静まり返った聚龍村からは、縁起が良い土地という感じはしませんが、これだけの豪邸が21棟も残っている土地は、やはり強い運気を持った土地なんでしょう。このあたりは、風水好きといわれる中国人の文化を感じます。

聚龍村の西にある招村。凸型の防火壁を持った伝統家屋が並んでいる 聚龍村の西にある招村。凸型の防火壁を持った伝統家屋が並んでいる

ハイカラ好みの聚龍村の豪邸

「井」の字型に建てられた21棟ものお屋敷の壁には、青竹の装飾が見られます。これは最近になって、つけられたものなのか、どこにも説明がないので謎。外壁の屋根の近い部分には、黒地に白で描かれたペーズリー模様のような装飾があります。これが欧風でもあり、ハイカラでいい感じです。コウ一族は、わずか60年ほどの間に靴製造業、レストラン、新聞社を経営する富豪一族になっていきました。1938年、日本軍によって、広州が陥落後、コウ氏は経営権を売り払い、各地に散らばって、二度と戻ってこなかったと言われています。聚龍村は、コウ一族の繁栄を見られる小さな村です。芳村から市バスで簡単に行けるので、広州に行ったら、行ってみませんか!

アジアと欧風が混じり合ったような建築が、ミスマッチでおもしろい アジアと欧風が混じり合ったような建築が、ミスマッチでおもしろい