「広西で最も落ちぶれた」梧州とは?

どこまでも続くヨーロッパのような騎楼建築が美しい。騎楼の数の多さは、広州以上では? こんなに騎楼があるなんて、かつてはどれだけにぎやかだったのかしら? この都市は、広西壮族自治区の東部にある梧州です。梧州は、騎楼建築が残っていることで知られています。騎楼とは、中国南部で見られる一階部分がアーケードになっている西洋とアジアを折衷したような建物です。2018年5月、中国のニュースサイト「今日頭条」を見ていると、「かつては『両広』の首府だったのに、今は広西で最も落ちぶれた梧州」というタイトルがついた記事を見つけました。中国のサイトは、表現がかなり直接的。梧州が「今は広西で最も落ちぶれた都市」だなんて。

梧州のメインストリートでもないところにも騎楼建築が残っている 梧州のメインストリートでもないところにも騎楼建築が残っている

梧州に騎楼建築が集まっている理由

広東省との境界に近い梧州は、高速鉄道に乗れば、広州から1時間40分と非常に便利な場所にあります。梧州は、前漢の紀元前183年、「蒼梧王城」が建てられたことに始まります。都があった西安、洛陽、開封から見れば、梧州は辺境ですが、いつの時代も梧州は、南方の政治、軍事上では、重要な位置にありました。明代の成化元(1465)年になると、広東と広西の地方政府が置かれた場所が梧州でした。広東と広西をあわせて「両広」と言います。清代になり、アヘン戦争が起きると、西江と桂江が交わる場所にある梧州は、広西で海外に開放された最初の港になりました。これが梧州の騎楼建築の始まりです。欧米をはじめ、中国の名立たる商社が梧州に進出し、こぞって騎楼を建てたと言われています。

梧州は、亀ゼリーの故郷。琥珀色をした琵琶ゼリーもおいしい 梧州は、亀ゼリーの故郷。琥珀色をした琵琶ゼリーもおいしい

「小香港」と呼ばれるほど繁栄した梧州

広西地区で最初に海外に開放された梧州は、貿易港として栄えます。梧州は西江、桂江が交わる場所にあり、広東省まで流れる西江の水上交通は、非常に便利です。多くの梧州人が香港や南方での商売を始めました。その富がもたらされた梧州は、「小香港」と呼ばれるまで発展しました。騎楼建築は、まさに繁栄の址です。22本もの通りに全長7キロに及ぶ騎楼建築が残っています。大東上路、大東下路、大同路、中山路などの22本の通りは、あわせて「騎楼城」と呼ばれています。なかでも西江一路14号の「新西旅店」は、騎楼城を代表する7階建てのバロック様式の建物です。

新西旅店は、改修工事中。今後は騎楼博物館になる予定 新西旅店は、改修工事中。今後は騎楼博物館になる予定

梧州がかつての繁栄を失った理由

梧州の繁栄は、広西で最初の国際貿易港になったことと水上交通の便利さによってもたらされたものです。第二次世界大戦後、交通の形態が変わりました。水上交通が徐々に重要視されなくなり、空路や陸路の輸送にとってかわられました。それと同時に梧州の繁栄も過去のものとなっていきました。騎楼建築の街並みは、一見、ゴージャスですが、雨の多い地方だけに古びてところどころ黒ずんでいます。私は、この古びてわびしい感じにはまりました。広西壮族自治区の観光地と言えば、水墨画の世界のような風景が広がる桂林や陽朔です。梧州は、観光地としては、注目されているとは言えません。静かに哀愁漂う町並こそが梧州の魅力! 広州から梧州に足をのばしてみませんか!

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