桂林に近い大墟古鎮から熊村へ

水墨画のような桂林の風景は、外国人には、中国を代表する風景だと思われています。そのせいか、桂林を訪れる外国人旅行者は、非常に多いのですが、外国人でも個人旅行者となると、桂林に泊まる人は少な目です。泊まっても1泊ぐらいで、桂林に近い陽朔へと移動していきます。そのため桂林から日帰り旅行にちょうどいい古鎮は訪れる人が少なく、穴場感があります。桂林からバスで約1時間ほどの大墟古鎮(ダーシーグージェン)は、まさにそんな穴場です。そしてさらに、大墟古鎮から約8キロ離れたところに、熊村という別の古鎮があります。大墟古鎮から105路か107路バスに乗れば、簡単に行くことができるので、私はこの熊村にも行ってみました。

熊村の紫気門は、見張り台のようにも要塞のようにも見えます 熊村の紫気門は、見張り台のようにも要塞のようにも見えます

おまけのはずが、メインになってしまった熊村古鎮

大墟古鎮の「墟(シー)」とは、嶺南地方(広東省と広西壮族自治区をさす)の言葉で「市」と言う意味があります。大きな市が立つ町が大墟古鎮です。そのため、私にとって熊村は大墟古鎮のおまけでした。しかし実際、熊村に行ってみると「もしかして、こっちがメイン?」と思ってしまうほど、この古鎮の規模も建物も見ごたえがありました。大墟古鎮も熊村も湘桂古道に属する交易の町です。湘桂古道とは、湖南省南部と桂林を結ぶ水陸の交易ルートのことです。宋代以降になると、桂林を流れる漓江と湖南省の湘江を結ぶ霊渠運河はあまり使われなくなっていました。水路だと1か月かかる荷物も陸路なら3〜6日で着くからです。そのため湘桂古道には、キャラバン隊が通った宿場町が残っています。

キャラバン隊が歩いたであろう十字街に残る民家 キャラバン隊が歩いたであろう十字街に残る民家

とにかく門だらけの熊村古鎮

用水路が張り巡らされた熊村に入ると、一瞬、江南地方の水郷古鎮に来たかのような錯覚に襲われます。のんびり優美な感じと用水路が江南っぽい。用水路沿いの道を歩いていると、用水路にドボンとつかり、髪を洗っている地元の男性も見かけました。用水路沿いの道は迷路のようになっており、ところどころに小さな門があります。古鎮の外側と繋がっている紫気門などは、侵入してくる者は決して見逃さないと言った圧迫感があり、ちょっとした要塞のようにも見えます。門に近いところには、湖南会館や江西会館と言った地方出身者が集まった会館も残っており、この地がかつて交易で栄えた町だということが、うかがえます。

熊村古鎮は、細い道が目色のように入り組んでいます。古鎮の外側に近い部分には、用水路が張り巡らされています 熊村古鎮は、細い道が目色のように入り組んでいます。古鎮の外側に近い部分には、用水路が張り巡らされています

文革時代で時が止まってしまったような熊村古鎮

キャラバン隊が盛んに往来したであろう石畳の小道を歩いていると、古民家の壁に書かれた毛沢東のイラストや「聴毛主席的話(毛主席の話を聞き)」と言った言葉が目につきます。民国時代まで栄えた熊村ですが、新しい道路や鉄道が開通したため主要幹線道路から外れてしまい、寂れてしまいました。今では熊村は広西壮族自治区の貧困地区に指定され、住民のほとんどが政府の指導により別の場所に移住しています。水路沿いの民家は、住民が残っていますが、かつてのメインストリートであった十字街付近は、ほぼ空き家です。ひっそり静まり返った村は、まるで文革時代で時が止まってしまったかのようです。南方シルクロードとも言われ、キャラバン隊でにぎわった熊村がこのまま朽ち果てていくのは、本当にもったいないことです。桂林にお宿をとるのなら、1日は、熊村へ日帰り旅行に使いませんか!

1930年頃は1000人以上の村民が住んでいたと言われていますが、現在は、人影よりも文革期に書かれた文字のほうが目につきます 1930年頃は1000人以上の村民が住んでいたと言われていますが、現在は、人影よりも文革期に書かれた文字のほうが目につきます