- 神谷
- 東京都在住。漫然とさすらっていた学生時代の旅から、テーマのある旅へとスタイルが移りました。現在は「その国と日本とのつながり」を頭に置いて旅をしています。地を這う旅からリゾート、自然観察、文学、アート、建築を追う旅までなんでもテーマにして書きます。旅と同じくらい文章を書くのが大好き。お楽しみに!
出発エリアをに変更しました。
堂々たるハルビン駅北駅舎
ハルビン駅の美しい駅舎を見上げたら、あなたの胸にまずよぎる思いは、なんでしょうか? 中国最北の省、黒龍江省の省都ハルビンは、西洋建築が建ち並ぶ異国情緒にあふれた都市です。ハルビン駅も、そんな都市の“顔”にふさわしく、堂々とした西洋建築の駅舎です。2017年には大規模な改修工事が終わり、1903年当時の旧駅舎を模したクラシカルな外観となっていますよ。
駅舎の中も美しい建築です
さて、このハルビン駅は、伊藤博文が客死した場としても有名です。内閣総理大臣を4度も勤め、その他日本の政治の重要なポストを歴任してきた伊藤博文は、1905年、初代韓国統監となりました。日本の統治に強い反感を持っていた朝鮮の活動家グループは、伊藤の暗殺を計画します。伊藤は1909年6月に韓国統監を退位し、同年10月26日、ロシアの蔵相ココツェフと満洲・朝鮮問題を話し合うため、このハルビン駅に降り立ちました。
ハルビン駅前に建つロシア正教会の建物
伊藤の到着を待っていたおおぜいの要人やロシア兵などが居並ぶ中、伊藤は凶弾に倒れました。実行犯は朝鮮独立運動家の安重根(アン・ジュングン)でした。人混みと警備をあっという間にすり抜けた安重根は至近距離から銃弾を6発撃ち、そのうち3発が伊藤に命中したといわれています(これについては異説もあり)。伊藤は致命傷を負い、撃たれて30分後に亡くなってしまいます。このような歴史的大事件の現場となったのが、ハルビン駅なのです。
優雅な駅舎ですが、人々はいつでも大行列なのが中国らしい!
ハルビン駅改修工事前の2014年、駅舎に「安重根記念館」が作られました。韓国の朴槿恵(パク・クネ)前大統領が中国の習近平主席に安重根の記念碑の設置を求めたことから記念館が作られたのですが、その後の駅の工事に伴い、いったん閉館していました。そして2019年3月、駅舎と同時に安重根記念館も改装工事が終わって再オープンしました。
駅前は整備されて広々としています
以前の展示館よりスペースは広くなりましたが、展示物の点数や内容は大きく変わっていないようです。入場無料ですが、見学にはパスポートの提示が必要です。日本語の解説はなく、中国語と韓国語でしか解説されていないため、展示の詳細は分かりづらいかもしれません。しかし、日本、韓国、ロシア、そして中国という各国の思惑や力関係を想像するには十分な舞台であると思います。東アジアでの20世紀の幕開けは、このように、平穏とは程遠いものでした。改修を終えてすっかり美しくなったハルビン駅舎に行けば、これらの国の歴史について、思い返してみたくなることでしょう。
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