世界遺産「開平楼閣と村落」って、どんなところ?

「あまりにも様式が違っているけれど、これが最初と言われると、そんな感じもする」。今、私が立っているのは、広東省南部にある開平市の三門里です。開平と言えば、「開平楼閣と村落」で登録された世界遺産があるところです。広東省の広州から開平へは、高速バスで約2時間で到着です。田んぼや畑の真ん中に中世ヨーロッパのような雰囲気を持った高層の楼閣が、あちこちに建っています。このユニークな風景が、開平の魅力です。豪華ですが、繊細ではなく、泥臭い感じがするこの楼閣は「ディヤオロウ(ディアオロウ)」と呼ばれ、なんと1833棟も残っているそうです。

迎龍楼の高さは、11.4メートル。一部の煉瓦の厚さは、93センチもあるらしい 迎龍楼の高さは、11.4メートル。一部の煉瓦の厚さは、93センチもあるらしい

19世紀末、開平にディヤオロウを作った人々

開平のディヤオロウは、19世紀半ば開平からアメリカやカナダ、オーストラリアなどに渡った華僑が作ったものです。彼らは、移民先で「苦力(クーリー)」と呼ばれ、安い労働力として重宝されました。しかし、19世紀末になると、移民先の国の政策が変わり、帰国を余儀なくされました。財を築いて、故郷に戻った彼らは、移民先で見た欧風建築をまねた楼閣を建てました。それが開平ディヤオロウです。しかし、今、私の目の前に建っている「迎龍楼(インロンロウ)」は、他のディヤオロウとは全く建築様式が違います。建物は長方形! 装飾は全くなし! どこから見ても監獄か牢獄です。

一見、監獄のような迎龍楼の歴史

迎龍楼が、その他の欧風建築のディヤオロウと全く建築様式が違うのは、建てられた時代が違うからです。迎龍楼は、開平で最も早い時期に建てらえたディヤオロウと言われ、世界遺産にも登録されています。迎龍楼が建てられたのは、明の嘉清年代です。西暦なら1522〜1566年の間です。この地に住んでいた富農の関聖徒夫妻が建てました。当時は、2階の建物でしたが、1920年に3階部分が増築されました。2階までは明代に焼かれた赤レンガを使っています。3階は黒くなっていますが、中華民国時代の青みがかった灰色のレンガを使って作られました。

迎龍楼が、開平ディヤオロウのルーツだと言われる理由

長方形の飾り気のない迎龍楼は、窓も小さく、監獄のような建物です。盗賊団から財産や生命を守る要塞の役目を果たして来たので、銃を構える穴もあります。開平は、明代以前から温暖な気候と水に恵まれた豊かな土地でした。外敵から狙われて来たので、自分たちを守る要塞を建てる文化が根付いていました。それが19世紀後半から20世紀前半にかけて、競って建てられた開平ディヤオロウに繋がっていきました。三門里は、開平総合バスターミナルから13路バスで「三門里」で下車すれば、目の前です。村に入り、細い路地を進んで行くと、迎龍楼の真ん前に出ますよ。他に見どころはありませんが、簡単に行けるので、立ち寄ってみませんか!