老街の中でも、とびきり壮観な屯渓老街

「壮観って言うのは、まさにこういう風景だね」と立ち止まって、しばし感動。それぐらい安徽省屯渓の老街は、感動ものでした。「老街(ラオジエ)」と呼ばれる旧市街が好きで、古い町並みを歩きまわるのが旅の目的の一つです。今まで訪れた老街の中で、飛びぬけて立派なのが屯渓の老街です。安徽省は、内陸部と言うほどでもなく、沿岸部でもないに位置にありますが、山がちな土地です。安徽省が誇る世界遺産の黄山は、省南部にあります。屯渓は、黄山旅行の起点となる町でもあり、南部の中心です。屯渓老街の入り口にたつと、しっくいの白壁と街道沿いに屋根の部分が飛び出した建物が重なるように並んでいます。その壮観さに屯渓の歴史を感じます。

屯渓老街の東の入り口。門楼のような役割を果たしているのが牌楼 屯渓老街の東の入り口。門楼のような役割を果たしているのが牌楼

屯渓老街が宋城と呼ばれるようになった理由

老街や古鎮は、交通の要所や商業の中心など、かつて栄えたところにあります。屯渓の老街もその一つですが、栄え方が半端じゃないのです。屯渓老街の形成と発展には、宋の徽宗が関係しています。風流皇帝と呼ばれ、政治よりも美術品の収集と創作に明け暮れた徽宗が、金軍によって北に連れ去られました。その後、宋は首都を臨安(現、杭州)に移転したことに関係があります。徽商と呼ばれる徽州出身の商人が、臨安の建築をまねた建物を建てました。そのため、屯渓老街は、「宋城」と呼ばれていました。ちなみに徽商は、山西省の晋商や広東省の潮商と並んで、中国を代表する商人です。徽商の財力がそそぎこまれたのが屯渓老街です。

屯渓老街は、まっすぐではなく、カーブを描いているので、建物が少しずつ見える。それも屯渓老街の魅力! 屯渓老街は、まっすぐではなく、カーブを描いているので、建物が少しずつ見える。それも屯渓老街の魅力!

中華民国時代の屯渓老街

中華民国時代になると、安徽省の厘税局や商社などが屯渓に集まっていました。特に民国時代末期になると、大商人が集まり、軍の司令部なども置かれていたので、「小上海」と呼ばれるほど繁栄しました。民国時代と言えば、中国の悠久の歴史の中では、つい最近。古代王朝の都であった河南省洛陽の老街と比べると、屯渓老街は、その繁栄がものすごく近くに感じられます。繁栄を感じさせる建物は、おそらくは、清代のものが中心でしょうが、様々な年代のものが混じっていると言われています。老街は、全長1272メートル。屯渓老街の入り口に立つ牌楼からの眺めは、まさに壮観です。

夜の屯渓老街。昼間とは全く違う雰囲気。夜の散歩はぜひとも行ってほしい 夜の屯渓老街。昼間とは全く違う雰囲気。夜の散歩はぜひとも行ってほしい

今の屯渓老街を歩いてみよう!

現在、屯渓老街の中心になっているのは、東の青春巷口から西の鎮海橋までの約832メートルです。黄山産の緑茶、祁門の紅茶、名物の唐辛子を入れた漬け物、特産の宣紙などを売るお店が並んでいます。メインストリートから路地に入ると、中央電視台の食のドキュメンタリー「舌尖上的中国(舌の上の中国)」で評判になった毛豆腐を出すレストランも目につきます。今の屯渓老街には、「小上海」と呼ばれた頃のような重みはないですが、延々と続く白壁の老街は、今も見ごたえありです。世界遺産の黄山に行く際は、ぜひ、屯渓老街に立ち寄ってみませんか!

屯渓の市場で売っている毛豆腐。豆腐に生えたカビの胞子げ毛のように見える。調理すると、毛はなくなる 屯渓の市場で売っている毛豆腐。豆腐に生えたカビの胞子げ毛のように見える。調理すると、毛はなくなる