まさしく異国の中の異国という体験

シーク教寺院その2からの続きです。さて、香港のシーク教寺院で私は、プラサード(神への供物)の鍋を焦げ付かないようにかき回していた男性の隣に座り、少しお話をしました。驚いたことに、その男性は、英語はおろか香港の言語である広東語もまったくわからないと言うのです。私はヒンディー語がほんの少しわかるので、たどたどしいヒンディー語の単語で会話することとなりました。この大都会に暮らしながら、周りの住民や外国人観光客の言葉がわからず、バスや地下鉄に乗っても書かれている文字が読めないままとは……。それでも彼の瞳は澄み、笑顔はたおやかで親しげです。その目を見ながら、幸せな人生とはなんだろうと考えてしまいました。

インドの定食スタイルの食事はとってもおいしい! インドの定食スタイルの食事はとってもおいしい!

天上の音楽とも思える讃歌「キールタン」

堂内では、ちょうど神への讃歌(キールタンといいます)が始まりました。3人の男性が、インドの打楽器や鍵盤楽器の演奏とともに朗唱しています。そばに座り込んで、いつ果てるとも知れないその歌や楽器の音を聴いていると、意識がふと体から抜け出して空へ飛び立つような感覚になります。香港の人混みを離れ、シンガポールのシーク教寺院に、インドのシーク教総本山の黄金寺院に、過去のすばらしい出会いへと自由に飛び立てるのです。もしあなたがこの寺院を訪れた時にキールタンが始まったら、ぜひ腰を据えて聴いてみることをおすすめしますよ。

「同じ釜の飯を食う」その意味は?

礼拝が済んだら、無料の食事(ランガル)をいただきます。この食事の提供は、すべてボランティアでまかなわれています。シーク教では、宗教に関係なく、訪れた人には平等に食事がふるまわれるのです。しかし、これを「シーク教寺院へ行けばただで食べられる。一食分浮かせる」と捉えるのは絶対にやめてください。どんな人間にも等しくお腹いっぱいになるまで食べさせる、というのがシーク教です。しかし異教徒であっても、まずはその教えの意味を理解することが大切だと思いませんか。異教徒でも外国人でも、みんな肩を並べて座り、同じ食事を食べる行為そのものが、「人間は皆、神の前に平等である」というシーク教の教えなのですから。

行ってみると、教えの神髄に触れられます

職業の貴賎の差別もなく、男女の差別もありません。髪を覆う、靴を脱いで手を洗うなどのマナーを守れば、堂内の写真撮影もOK。旅行者にとって、これほど訪れやすい宗教施設も他にあまりないと思います。今回ご紹介した寺院以外にも、バンコクや東京、神戸にもシーク教寺院があります。ぜひ行ってみてください!