村の撮影に励みながらも、制服を着たおじさんの視線が気になる……

ひとけがないのをいいことに、私はいつしかカメラをあちこちに向けて、崩れ落ちそうな家や、竹竿に干された洗濯物や、屋根の上で図々しく生い茂った南国の植物などを撮影していきました。どこをどう切り取って撮っても、やっぱり高層マンション群が屏風のように視界を遮ってきます。村の入り口からずっとまっすぐ奥へ進むと天后廟があり、制服を来たおじさんらしき人が廟の脇に椅子を置いて、じーっとこちらを見ていました。あの人が気になって、いつ怒られるかとびくびくしながら彼の目を盗むようにして村の様子を撮りながら歩いていくうちに、結局は一番奥の廟まであっという間に着いてしまいました。なにしろきわめて小さな村なのです。

失われゆくオールド香港の暮らし、取り壊し寸前の村へ(後編) 失われゆくオールド香港の暮らし、取り壊し寸前の村へ(後編)

不思議なおじさんに、声をかけてみると?

廟も寂れ果てているとばかり思っていましたが、意外にも豪華な花が飾ってあり、線香の煙も立っていました。赤い扉に描かれた神様の絵も美しくてうっとり。こんなにきれいな廟がつぶされるとは残念です。せめてもの気持ちにと、私もお金を置いて線香の束を買い、手を合わせました。ところがその線香がうまく立てられず、ここに来たときからずっと私の挙動を見守っていた、例の制服のおじさんにやってもらうことにしました。おじさんに声をかけると、それまで人形のように無表情で身動きしなかったおじさんは、いきなり命を吹き込まれたかのように立ち上がったのです。

おじさんと、ひとときのふれあい(?)

おじさんは一言も英語を話せないようですがそんなことにはおかまいなし、線香の扱い方を広東語で説明したあと、そのまま私を相手に、猛然とおしゃべりをし始めました。私が自分のことを「ヤップンヤン(日本人)」と言うと、彼が昔会ったことのある日本人の思い出話(と推測)を息つく間もなくしゃべりまくり、その上いきなり歌を歌い、「アリガト!」と日本式に直角にお辞儀をしてきます。内容はさっぱりわかりませんが、どうやら同じ話と歌を何度もくり返しているようです。初めはあっけにとられましたが、肩には「香港警備」という徽章を付けた制服を着ているし、変な人ではないようです。「彼はものすごく人好きで、話し好きで、しかも孤独なのだろうな……」5分ほどすると、おじさんは再生ボタンを切られた機械のように、ふっと黙って突然いなくなりました(座っていた木の椅子ごと!)。

今となっては非常に貴重な“圍”の暮らし

村の静けさを打ち破る苛烈なおしゃべりを繰り広げるおじさんとの、なんとも不思議な出会いのひとときでした。華やかなチムサーチョイに戻り、やがて帰国してからも、あの村は取り壊されただろうかということがずっと気がかりでした。2013年現在、住民からの反対運動で、いまだに取り壊されていないというニュースを見て、胸を撫で下ろしました。よそ者のノスタルジーかもしれませんが、いつまでもあの天后廟とおじさんがそのままだといいなと思っています。もしもあなたが“圍”を訪れることがあったら、オールド香港の暮らしに触れるチャンスです。