フマユーン廟とアグラ城の建設

アクバルの統治時代の初期の有名な建造物といえば、デリーにあるフマユーンの墓を納めた「フマユーン廟」でしょう(1656年完成)。デリーは重要な都でしたが、ムガル帝国にとっての皇帝の居場所はアグラでした。1565年にアクバルの命によって「アグラ城」の建設が始まります。もともとここにはデリー・スルタン朝時代の城がありましたが、それに改修を加え、完成したのが1573年です。ただし現在見られるアグラ城の姿は、のちに第5代皇帝シャー・ジャハーン時代に加えられた大改修後のものがほとんどです。

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アクバルの宗教観は?

アクバルはイスラム教徒でしたが、宗教に対しては非常に寛容な政策をとりました。支配者層がほとんどがイスラム教徒といっても、治めているインドの民の大半はヒンドゥー教徒。そればかりか、インドにはジャイナ教などさまざまな宗教もあります。統治するための現実的な面もあったでしょうが、アクバル自体、いろいろな宗教に興味を持っていました。とくに影響を受けたのは、イスラム神秘主義教団のチシュティー教団だったようです。跡継ぎがいなかったアクバルは、スィークリー村の聖人サリーム・チシュティーを訪ねます。するとチシュティーは「5年以内に3人の男子が生まれる」ことを告げます。予言が実現し、喜んだアクバルは、スィークリー村に「ファテープル(勝利)」と名付けた新首都の建設を始めます。

アグラ郊外に新首都を建設

ファテープル・スィクリーは、アグラの南西40kmにあります。世界遺産でもあり、デリー、ジャイプル、アグラなどの周遊ツアーにはよく含まれている場所ですが、もともとほとんど何もなかった所に宮殿とモスクからなる建築群が作られたので、ここほどアクバル時代の雰囲気を良く残している遺跡はないでしょう。1574年に都はアグラからここに移されます。この都市は宮廷地区とモスク地区に分かれ、きちんと設計されたものでした。この遺跡はかなり見応えのあるものなので、十分に時間をとって行って下さい。ただし4〜10月の日中はかなり暑いので覚悟が必要です。(その3に続く)