インドを代表する建築物といえば

フランスと言えばエッフェル塔、アメリカでは自由の女神のように、その国のアイコンとなるような建築物が世界にはあります。インドでいうなら、それはまちがいなくタージマハルでしょう。ヤムナー川のほとりに築かれたこの白亜の霊廟に、人々は目を奪われずにいられません。すばらしい建築物が多いインドですが、このタージマハルは、皇帝が愛する妃のために造った廟(墓)というところに魅力があると思います。そこには人々が求めるストーリーが含まれているからです。今回は、ムガル帝国皇帝シャー・ジャハーンの生涯とともに、タージマハルにまつわる伝説を述べてみたいと思います。

インドが誇る世界遺産タージマハルを造った、ムガル帝国皇帝シャー・ジャハーンとは? その1 インドが誇る世界遺産タージマハルを造った、ムガル帝国皇帝シャー・ジャハーンとは? その1

先代皇帝ジャハーンギールの死

1627年、ムガル帝国第4代皇帝のジャハーンギールが亡くなります。その時点で皇位継承者は三男のフッラム(のちの皇帝シャー・ジャハーン)と四男のシャフリヤールだけでした。ジャハーンギールの皇帝時代の後半は病気がちな皇帝に代わり、事情上の皇帝として力を持っていたのは妃のヌール・ジャハーンでした。ヌール・ジャハーンの息子ではなく、父皇帝の生前から反乱を起こしていたフッラムですが、父皇帝の死を知り、宮廷にいたヌール・ジャハーンの弟アーサフ・ハーンと呼応し、ヌール・ジャハーンを幽閉します。

兄弟を殺して皇帝の座に

フッラムは駐屯先のデカンから、宮廷のあるアグラへと戻ります。そしてまもなくアーサフ・ハーンが捕らえていた異母弟のシャフリヤール、フッラムがすでにデカン駐在中に殺害していた兄フスローの遺児2人、叔父の息子2人の5人をデリーで処刑してしまいます。こうして血塗られた争いの中でフッラムは皇帝に即位。「世界の皇帝」を意味するシャー・ジャハーンと名乗るのです。

兄弟殺しは皇帝の条件?

兄弟を殺したからといって、シャー・ジャハーンが格別残忍な皇帝だったわけではないのでしょう。逆に他の兄弟が皇帝になれば、自分が殺害される可能性も高いのですから。中央アジアの出自のムガル宮廷では、相続が毎回大きな問題でした。長男と決まっている訳ではなく、より力のあるものが次期皇帝になるのです。同じようなことは、同じ中央アジアからきたトルコのオスマン帝国でも繰り返されていました。とはいえ、すでに盲目にされていて皇位継承から外れていた兄、そしてその息子たちをも殺すというのはどうでしょう。さて1628年に念願の皇帝に即位したシャー・ジャハーンですが、まもなくショックな出来事が襲います。それは愛妃ムムターズ・マハルの死でした。(その2に続く)