シャー・ジャハーンが愛した妃ムムターズ

シャー・ジャハーンには多くの妃や側室がいましたが、もっとも愛していたのが14人の子供をもうけたムムターズ・マハルと言われています。ムムターズの父は、シャー・ジャハーンの皇帝即位の立役者となった宮廷の実力者アーサフ・ハーンです。彼がいなかったらシャー・ジャハーンは皇帝になれなかったかもしれません。それでもムムターズは、夫のシャー・ジャハーンがまだ皇帝になる前に各地に転戦するのに付き従い、苦楽を共にした仲でした。シャー・ジャハーンが皇帝になって3年後の1631年、身ごもりながらデカン遠征に付き従っていたムムターズは、そこで産褥熱で亡くなったといいます。

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ムムターズの聖廟の建築を始めるシャー・ジャハーン

愛する妻を失ったシャー・ジャハーンは大いに悲しみました。ひと晩で髪の毛が真っ白になったとも言われています。遺体をアグラに運び、ムムターズ没後の一年後には、霊廟の建設を始めます。場所はヤムナー川のほとり、宮廷のあるアグラ城の東約1kmほどのところ。霊廟建築のため、インドだけでなく周辺諸国からもすぐれた建築家や工芸家が集められました。巨大な白大理石の廟というのは、デリーのフマユーン廟を除いて類を見ないものでした。シャー・ジャハーンが、デカン高原北部のマンドゥにある白大理石建築のホシャン・シャー廟に建築家を派遣し、設計の参考にしたという逸話も残っています。トルコ、ペルシャ、バグダード、そしてヨーロッパから職人がやってきました。

なぜここまで大きなお墓を作ったのか

ヒンドゥー教徒は遺灰を川に流し、墓を造りません。しかしイスラム教徒は簡素ながらも「復活の日」にそなえて墓を造ります。しかしいくら愛していたからといって、妃のためにここまで大きな墓を造るということは前代未聞でした。イスラム教徒であったシャー・ジャハーンが国内をイスラムの力でまとめるため、人々が参拝する聖者廟を作ろうとしたという学説もあります。インドではイスラム教の聖者廟へのお参りが、今でも人気です。お参りするのはイスラム教徒だけではありません。ヒンドゥー教徒もご利益を求めてこうしたイスラムの聖者廟にお参りします。シャー・ジャハーンは子宝に殉じて亡くなったムムターズを、聖人として祀ることを望んだのでしょう。(その3に続く)