ムガル帝国の絶頂期の皇帝アウラングゼーブ

数千年の歴史を持つインドで、もっとも力を持った王朝として知られるムガル帝国。その建国以来の歴代皇帝にまつわるエピソードを知り、観光の際の知識を得ていこうというこのシリーズもいよいよ終盤戦。今回は、ムガル帝国絶頂期の第6代皇帝アウラングゼーブについて述べて行こうと思います。彼の治世に帝国は最大領域を作りますが、それはムガル帝国の“おわりのはじまり”でした。世界史の教科書でも、以降のインド史には名の知れた皇帝は姿を現さなくなります。つまり没落に至る原因は、すでにこの時代に生まれていたのです。

ムガル帝国絶頂期の皇帝アウラングゼーブの生涯を知り、歴史に想いを馳せる(その1) ムガル帝国絶頂期の皇帝アウラングゼーブの生涯を知り、歴史に想いを馳せる(その1)

皇位継承の度に起きる争い

ムガル帝国の問題は、王位継承のシステムが確立していなかったことでした。これはムガル帝国の出自であるモンゴルや中央アジアの伝統で、「力ある子が継承する」ため、先代の皇帝が亡くなると(あるいは亡くなる前に)皇子たちが必ず戦いを始めます。皇帝になれなかった皇子は、死を待つだけだからです。アウラングゼーブもそんなひとりでした。タージ・マハルをアグラに建設したことでも知られる父・皇帝のシャー・ジャハーンは、アウラングゼーブを南のデカン高原攻略の指揮官として送っていましたが、病床に臥すと長男のダーラーを後継者に指名します。そしてお約束の内乱が始まりました。

兄弟を次々に倒し、皇位を簒奪

シャー・ジャハーンには4人の息子がいました。反乱を起こした次男のシュジャーの軍を長男のダーラーが破る一方、3男のアウラングゼーブは4男のムラードと組んで、皇帝シャー・ジャハーンの軍を破ります。次いでアウラングゼーブとムラードは、ダーラーの軍も破り、アグラに入城。父シャー・ジャハーンをアグラ城に軟禁し、それがすむとアウラングゼーブは協力者の弟のムラードを裏切って軟禁(のちに処刑)。皇帝がまだ生きているうちに帝位を簒奪して、デリーで即位式を行います。そして兄のダーラーを処刑し、その首をダーラーを愛していた父皇帝に届けるという残虐な振る舞いをします。父とはかなりの確執があったのでしょう。殺しはしませんでしたが、死ぬまでいろいろな嫌がらせを続けたといいます。(その2に続く)