イギリス東インド会社との対決

「ラジャスタン州の穴場・バラトプル」その1からの続きです。スーラジ・マルの死後、約40年経った1804年に、インドを着々と支配下に置いていったイギリス東インド会社と、西インドを拠点とするマラーター同盟との間に戦争が起きます(第二次マラーター戦争)。11月、そのマラーター同盟の実力者でデカン高原北部のインドールを拠点とするホールカル家の軍が、デリー包囲戦の後、ファルハバードの戦いでも大敗し、敗走してディーグに逃げ込みました。追撃する東インド会社軍はディーグフォートを10日間にわたって包囲して攻めためので、ホールカル軍はさらに南のバラトプルにある要塞に逃げ込みます。こうして1805年1月、バラトプル包囲戦が始まりました。

バラトプルの籠城戦でイギリス側を撃退

当時のバラトプル王国はホールカル家と同盟関係で、共に東インド会社軍と戦うことを決めていました。1月1日にディーグを出発した東インド会社軍は2日にバラトプルにつき、城を包囲。その数1万8000人、対する籠城側は1万人。それまで連戦連勝の東インド会社でしたが、ここで激しい抵抗に遭います。東インド会社はなかなか攻略できないまま2月20日の総攻撃で多大な死者を出し、22日にははあきらめて撤退することに。死傷者は約3000人でした。

イギリス領時代は藩王国として存続

このバラトプル包囲戦は、久しぶりのマラーター側の勝利でした。しかし4月には、バラトプル王と東インド会社は講和をし、戦線を離脱。当時、本土イギリスはナポレオン戦争中で忙しく、以降は強硬政策を取るのをやめてインドの各王国を懐柔していく方針になります。そのため、バラトプル王国は外交などはイギリスの元にありましたが、自治が認められる藩王国としてインド独立まで残ることになったのです。

世界遺産の国立公園が町のすぐ南に

さて、現在のバラトプルですが、首都デリーから日帰り圏ということもあり、交通量も多く、趣のある旧市街もない、特に特徴がないインドの地方都市です。。一番の見どころは、町のすぐ南にある世界遺産のケオラデオ・ガーナ国立公園でしょう。湿地帯が広がるこの公園は、冬になるとシベリアから渡り鳥が越冬しにやってきます。そのため藩王国時代には、藩主やイギリスの駐在官が狩猟にやってくる場所でした。この国立公園については別記事「インドの世界遺産 アグラ郊外にあるケオラデオ・ガーナ国立公園へ行ってみよう」に詳しく書いています。アグラから日帰り観光もできますが、公園内にもホテルがあるので、そちらの宿泊もおすすめです。(その3に続く)

渡り鳥の楽園ケオラデオ・ガーナ国立公園は、バラトプルの町のすぐ外にある。併せて観光しよう 渡り鳥の楽園ケオラデオ・ガーナ国立公園は、バラトプルの町のすぐ外にある。併せて観光しよう