北インドに建国されたモンゴル系のムガル帝国

16世紀初頭、のちに大帝国になるムガル帝国を北インドに築いたバーブルは、中央アジアの現在のウズベキスタン出身でした。戦いに負け故郷を追われたバーブルは、現アフガニスタンのカーブルで再起を図っていましたが、戻るのは難しいことを知り、行き先を北インドに転じます。バーブルは1526年にパーニパットの戦いでローディ朝を破り、デリーに入城。やがてアグラも占領し、ムガル朝を建国します。「ムガル」とは「モンゴル」のことで、バーブルがチンギスハーンとティムールの血を引くモンゴル貴族出身だったことに由来します。「チンギスハーンの血筋」というのは、当時かなり権威があったのでしょう。

ムガル帝国皇帝フマユーンの生涯を知ると、世界遺産「フマユーン廟」が2倍面白くなる!? (前編) ムガル帝国皇帝フマユーンの生涯を知ると、世界遺産「フマユーン廟」が2倍面白くなる!? (前編)

二代目皇帝となったフマユーンだが…

さて、このムガル帝国。最初はその道のりは順風満帆とは言えませんでした。当時の国というものは、地方領主たちによる部族連合のようなものでした。その上、領地は一子相続でなかったため、王より皇帝のほうが、その領地や直属の軍隊が少ないこともあったのです。だから皇帝が死ぬと、必ずその後で後継者争いが起きました。1530年に始祖バーブルの跡を継いだのが、2代目皇帝となったフマユーンですが、跡を継いだ時はその領地はデリー周辺のみで、ライバルとなる弟たちや、周辺の王国の脅威にさらされていました。

人望を失い、帝国を一度は潰したフマユーン

フマユーンは無能ではなく、むしろ才覚はあったようです。皇帝になり、最初は少しずつ敵を取り除いて行きました。しかし「困難には強いが、調子のいい時にはだらしない」タイプだったようで、享楽にふけり人望を失っていきます。やがて1540年にビハール(現在のブッダガヤなどがあるインド北東部)のシェール・シャーとの戦いで敗北し、デリーから逃亡することに。ムガル帝国は、早くもここで一度滅亡してしまいます。建国からわずか14年でした。フマユーンは現在のパキスタンやアフガニスタンを点々とした後、その地域を領土としていた弟たちにも裏切られ、1543年にはサファヴィー朝ペルシャの宮廷に亡命します。

逆境に強い男フマユーン。ついに皇帝カムバックを果す

一方、フマユーンから王位を奪ったシェール・シャーは、デリーを都としてスール朝を開きます。このシェール・シャーは名君だったようで、多くの政治改革を行い、それは後の再興したムガル帝国にも引き継がれます。もともと人望を失い、弟たちすべてにも裏切られるようなフマユーンですので、シェール・シャーが生きている間はムガル帝国の再興は望みがありません。しかし1545年にシェール・シャーが死去すると、無能な後継者が相次ぎ、スール朝は急速に崩壊して行きます。そんな中、逆境に強いフマユーンは人望を取り戻して行きます。インド北西部を支配していた弟たちを着々と滅ぼし、北インドへ戻る機会を探ります。1555年、ついに内紛に明け暮れているスール朝を破りデリーに入城を果しました。こうしてムガル帝国の再興はなしえたのです。(後編に続く)