イスラム教中心主義を実行

1658年に皇帝に即位したアウラングゼーブは、宗教に寛容な歴代皇帝の政策を改め、保守的なイスラム教の宗教政策を押し進めました。それまでの皇帝もみなイスラム教徒でしたが、穏健なスーフィズム(イスラム神秘主義)を信奉し、他の宗教にも寛容でした。そうでなければ、ヒンドゥー教が大多数を占めるインドをうまく収められるはずはありません。またヒンドゥー教徒のラージプート(現在のラジャスタン)の王たちも忠誠を誓えたりしたのです。しかし、厳格なイスラム教の押しつけは、帝国内に大きな不満を生みます。

ムガル帝国絶頂期の皇帝アウラングゼーブの生涯を知り、歴史に想いを馳せる(その2) ムガル帝国絶頂期の皇帝アウラングゼーブの生涯を知り、歴史に想いを馳せる(その2)

ヒンドゥー寺院の破壊とマラーター同盟との戦い

アウラングゼーブは有名なヒンドゥー寺院をいくつか破壊し、それをモスクに転用しました。有名なものでは、ヒンドゥーの聖地ベナレスにある黄金寺院(ヴィシュワナート寺院)を破壊し、アウラングゼーブモスクを建てたことでしょう(黄金寺院は小さくなりましたが今もあります)。一方、デカン高原では1660年代からヒンドゥー教徒の王や領主たちをシヴァージーが束ねて、マラーター同盟を結成。アウラングゼーブを大いに苦しめます。しかしシヴァージーの死後は、次第にアウラングゼーブに押さえ込まれて行きます。

デリーに残るアウラングゼーブゆかりの建物

さて、アウラングゼーブが建設した建物を実際に見てみましょう。世界遺産で、デリーにある皇帝の居城ラールキラー(赤い城)内にある、小さなモスク「モティ・マスジット(真珠のモスク)」がアウラングゼーブ帝時代のものです。建てられたのは1659年といいますから、即位の翌年です。もともとデリーで皇帝が礼拝していたのは、巨大なジャマー・マスジットですが、アウラングゼーブは1km弱ほど離れたそこに行く時間を惜しんで、宮殿内に自分の礼拝専用のこのモスクを造ったといいます。

パキスタンに残るアウラングゼーブゆかりの建物は?

また、現在はインドではなくパキスタン領ですが、ムガル帝国の3つの都のひとつであるラホールにも、アウラングゼーブによる建築物があります。わずか2年半で建てたという1674年完成のバード・シャヒー・モスクです。数万人を収容できる大きさで、先代のシャー・ジャハーンが1656年にデリーに完成させたジャマー・マスジットに匹敵する規模のものです。これがアウラングゼーブが建てた建物では、一番大きいものではないでしょうか。(その3に続く)