ムガル帝国以前、デリーに都を置いた王朝

インドのデリーには、ムガル帝国時代の「フマユーン廟」や、「レッドフォート」などの世界遺産の歴史的建造物が残っています。一般には「デリー=ムガル帝国」のイメージが強いのですが、実はムガル帝国がここを首都とする前から、イスラム教を奉じる5つの異民族王朝がデリーに都を置いていました。1206年に始まった奴隷王朝を皮切りに、1526年にローディー朝がムガル帝国に破れるまでの320年間に5つの王朝が交替しましたが、そのすべてがデリーを都としたので、世界史ではそれらを「デリー・スルタン朝」と呼んでいます。

トゥグラカバード遺跡の「内城」部分 トゥグラカバード遺跡の「内城」部分

昔のデリーは、現在に比べるとかなり小さい

さて、それらの王朝の都は、現在のデリーの市域に比べると遥かに小さなものでした。実はデリーが巨大化したのは、20世紀に入ってから。長かったイギリス統治時代には、カルカッタ(現コルカタ)のほうが人口も多かったのです(19世紀にはデリーはいち地方都市に没落していましたで)。デリーの現在の人口は1100万人。デリー・スルタン朝当時の人口が10〜30万程度なので、同じ人口密度なら市域は100分の1ほどの広さになってしまいます。そこまででなくても、中世インドの王国の都はせいぜい数キロ四方でした。ムガル帝国時代のデリーは、現在のデリーの北側にある「オールドデリー」という市域です。これはムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが造った居城ラール・キラーの前にありますが、それ以前は4キロ南のプラナ・キラーに居城が置かれていました。

歴代王朝の都城は、現在のデリーの市域を点々としていた

ではそれ以前のデリー・スルタン朝の都はというと、さらに南に置かれていました。今回紹介するトゥグルク朝の都城「トゥグラカバード」は、オールドデリーからだと15キロも南で、現在では市域の外れと言ってもいいかもしれません。デリーに最初に都を置いた奴隷王朝のモニュメント「クトゥブ・ミナール」は市街の南にあり、いつも観光客でにぎわっています。しかしここ、トゥグラカバードはそれに比べると有名でないため、訪れる観光客もまばら。ツアーでも寄らない場所です。過去に20回以上デリーに行った私でも、実はそこを訪れたのは今回が初めてでした。(後編に続く)