ついにムガル帝国の領域が最大に

アウラングゼーブ帝の治世の後半には、1686年にビジャープル王国、1687年にゴールコンダ王国(現在のハイダラバード)を滅ぼし、1689年には宿敵のマラーター王国を打ち破って南に追いやり、ムガル帝国の版図は最大になります。世界史の歴史地図で「ムガル帝国の最大領域」と掲載されるのはこの頃のことです。現在のインドのほとんどとパキスタン、バングラデシュ、アフガニスタンがそれにあたります。その一方、パンジャブ地方のシク教徒によるシク王国の度重なる反乱と弾圧、帝国の人々にかかる重税、インド各地での農民反乱などが相次ぐようになり、アウラングゼーブも高齢(すでに80代)のため、1705年には病に倒れます。

ムガル帝国絶頂期の皇帝アウラングゼーブの生涯を知り、歴史に想いを馳せる(その4) ムガル帝国絶頂期の皇帝アウラングゼーブの生涯を知り、歴史に想いを馳せる(その4)

アウラングゼーブはどんな人だったのか?

アウラングゼーブは冷酷無比な人間だったのでしょうか? 伝えられているアウラングゼーブは、歴代皇帝たちとは異なり、質素な人だったようです。服や宝石にもお金をかけずに、モスク以外の建築物もほとんど作りませんでした。たぶん宮廷での豪華な生活も嫌で、そのため治世の後半は戦場に近い砦に移り住んだのでしょう。しかし厳格なイスラム一辺倒な性格は妥協を嫌い、周囲との摩擦をもたらしました。

アウラングゼーブの死

病床のアウラングゼーブは、息子たちがかつての自分のように殺し合うことを怖れ、また生前に自分がした非寛容を悔いるようになります。アウラングゼーブは1707年にダウラターバード砦で88歳で亡くなりました。アウラングゼーブが怖れていたように、彼の死後に皇位の争いが起き、2人の弟を殺したバハドゥール・シャー1世が第7代皇帝になります。しかしアウラングゼーブの治世が長過ぎたのでしょう。皇帝になった時、バハドゥールはすでに64歳。そしてその治世は5年に満たず、その間に早くも帝国の分裂が始まって行くのです。

エローラの石窟寺院そばにあるアウラングゼーブの墓

そのアウラングゼーブ帝の墓が、エローラの石窟寺院からわずか3kmのクルダーバードという小さな村にあります。エローラの観光のときに立ち寄るツアーもあるでしょうが、とても皇帝の墓とは思えない、その質素さにはきっと驚くでしょう。イスラム教の聖人たちの墓を集めたというアラムギール・ダールガーに、彼の小さな墓がひっそりとあります。そんなところに、質素に暮らしたという、この皇帝らしさを感じることができるかと思います。