page top

出発エリアをに変更しました。

海外旅行の検索・比較サイト|エイビーロード
AB-ROAD
たびナレ 旅に行きたくなる!海外旅行に役立つナレッジ満載
RSS

役立つ海外旅行ナレッジ

インドのハイデラバードはパキスタンにあるという歴史もあった? ハイデラバードの歴史を知る


掲載日:2019/04/18 テーマ:観光地・名所 行き先: インド / ハイデラバード

タグ: おもしろい ためになる ロマン 歴史


ハイデラバードが建設されたのは

現在のハイデラバード旧市街のにぎわい 現在のハイデラバード旧市街のにぎわい

インド中央部に広がるデカン高原の大地。その中心部近くにある都市ハイデラバードは、ヒンドゥー教徒が主のインドの中でも、かなりイスラムの香りがする街です。街の歴史は500年ほど。ここに都を置いた最初の王朝であるゴールコンダ王国は、1518年の建国時には8kmほど離れた丘のゴールコンダ城塞に都を置いていました。しかし1589年に、都はムーシー川の南に広がる平地に移動します。これがハイデラバードです。ゴールコンダ王国はしばらくして、ムガル帝国に滅ぼされてしまいます。しかしムガル帝国の弱体化ととともに、1724年に地方を任されていた将軍がデカン高原に新たに独立王朝を立てました。これがニザーム王国(別名ハイデラバード王国)です。

ニザーム王国時代にイギリスの藩王国になる

18世紀初頭のアウラングゼーヴ帝の死後、ムガル帝国は急速に衰え、インド各地では有力な王が群雄割拠していました。また、そこに領土的野心を持つイギリスが加わり、戦争を起こして各王国を属国化していました。イスラム教徒が支配層のニザーム王国は、ムガル帝国を凌ぐほど繁栄していましたが、イギリスと戦っても勝ち目はないとしたのか、自ら英領インド内の藩王国になります。内政自治は認められますが、イギリス軍が駐屯し、外交はイギリスに任せるという住み分けです。

少数のイスラム教徒が富を得ていた

英領インド下でもニザーム王国は、日本の本州ほどの面積を持つインド最大の藩王国でした。ニザーム王国の都は当初はアウランガバードでしたが、1763年にハイデラバードに都を移します。ニザーム王国の強みは豊富な地下資源で、当時はインドでしか産出しなかったダイヤモンド、石炭など様々な鉱物を輸出し、富を得ていました。そのためインド独立までは、ニザーム藩王国は中世さながらの古い社会体制のまま、少数のイスラム教徒が多くのヒンドゥー教徒を支配するという体制を維持することができたのです。

独立後はインドに強制併合される

安泰を誇ったニザーム藩王国ですが、第二次世界大戦が終わり、インド・パキスタンが分離独立することになると、困ったことになります。藩王をはじめ政府の要職はイスラム教徒だったので、彼らは独立時にパキスタンへの帰属を望んだのです。ただし住民はヒンドゥー教徒が多く、また位置も東西パキスタンからは遠く離れていたことが問題でした。もしパキスタンへの帰属を認めると、インドの中央部に大きなパキスタンの領土が生まれてしまうのです。1947年、ニザーム藩王国は、インドでもパキスタンでもなく「現状維持での独立」と、インドと協定を結びます。しかし翌1948年、インド政府はカシミール問題が落ち着くと、ニザーム王国がインドの真ん中にあるのを良しとせず、侵攻して(ポロ作戦)ニザーム王国を強制併合します。

インドではなかった歴史もあった?

こうして、インド中央部に300年ほど続いた最後のイスラム王朝が1週間ほどで消滅しました。それはあっけないものでた。強力なインド軍の前には、ニザーム王国軍は一方的にやられるだけだったのです。現在、人口770万人近いインド第6の都市として発展したハイデラバードですが、もし歴史が違う方に動いていたら、インドではなく独立国だった可能性もありますよね。そんなことを考えてみるのも面白いかもしれません。

※記事は掲載日時点での情報であり変更されている可能性もあります。ご了承下さい。(掲載日:2019/04/18)

※旅行前には必ず、外務省の海外安全ホームページで訪問地の安全情報についてご確認ください。
※この記事はガイドレポーターの取材によって提供された主観に基づくものであり、記事は取材時時点の情報です。
 提供情報の真実性、合法性、安全性などについては、ご自身の責任において事前に確認して利用してください。
エイビーマガジンについて

 

キーワードで記事検索

検索