ムガル帝国の領域からイギリスの直轄地に

「ラジャスタン州の町アジメール」その1からの続きです。そんな時代が続いた後、ムガル帝国第3代皇帝アクバルによって1559年にアジメールは占領され、以降はこの都市はムガル帝国の直轄地として、ラージプートの諸王国を支配する拠点となっていきます。その後、マラーター勢力の支配を経て、19世紀にはイギリスの支配下に入りました。アジメールが、ジャイプルやウダイプル、ジョードプルといったラジャスタンの有名観光地と雰囲気が違うのは、長い間、ここを拠点とする王国がなかったことです。大きな城が街中になく、宮廷文化といえるものもありませんでした。

聖者廟に続く、アジメールのバザール。参拝客でいっぱいだ 聖者廟に続く、アジメールのバザール。参拝客でいっぱいだ

近隣の町プシュカルから日帰り観光がおすすめ!

このアジメールですが、宿泊する外国人旅行者はあまり多くはありません。というのも、アジメールからバスでたった30分の町、プシュカルのほうに泊まってしまう人が多いからです。別項で取り上げますが、プシュカルは聖なる池を中心としたヒンドゥーの聖地。徒歩で回れるほどの小さな町ですが、ゲストハウスやホテルが多く、居心地もいいので外国人旅行者たちに人気の町です。交通量が多いアジメールに比べると、車も少なくのんびり。くつろげる場所なんですよね。なので、大半の旅行者はプシュカルに宿泊し、日帰りでアジメールを観光するのですが、僕もそれをおすすめしますね。タクシーならすぐですよ。

インドにイスラーム教を布教した聖者チシュティー

では、アジメールにはどんな見どころがあるのでしょうか。アジメールで一番にぎわっているのは、「フワージャ・ムイヌッディーン・チシュティーのダールガー(以下「チシュティー廟」と省略)」です。チシュティーは1192年にペルシア(イラン)から布教にやってきたイスラームのスーフィー(イスラーム神秘主義者)です。インドにイスラーム教が広まったのは、彼のようなスーフィーたちの伝道によるところが多いのです。チシュティーは死後、イスラームの聖人として敬われ、その墓は聖廟となって多くの人々が参拝するようになりました。それとともにチシュティー教団は発展。とりわけムガル帝国時代には歴代の皇帝たちの庇護を受け、次々に周囲に建物が建てられていくようになります。(その3に続く)