インドでは珍しくない聖者廟への参拝

「ラジャスタン州の町アジメール」その3からの続きです。こうした聖者信仰は、むずかしい宗教の教義などを知らない人たちにもわかりやすかったため、インドではスーフィーたちを通じて、イスラームが浸透しました。もっとも、聖者信仰はイスラーム原理主義者からすれば異端に近いものです。なので、イスラーム原理主義者が多い国や地域では、聖者廟が打ち壊されることもあります。ただしインドには昔から多くの聖者廟があり、今も信仰されているのです。

異教徒の参拝も少なくないインドの聖者廟

また、やってくるのもイスラーム教徒だけではありません。イスラームの聖者廟は御利益があるということで、ヒンドゥー教徒たちも参拝にやってくるのです。私たちがお寺に行ったり神社に行ったり、あるいは教会に行ったりするのと同じ感覚なんでしようかね。なので、「私はイスラーム教徒ではないから」と躊躇している人も大丈夫。非イスラーム教徒もけっこう来てますから。廟の周りには、多くのお墓があります。これはチシュティーのそばに眠ることによって、御利益を預かろうとする名士たちの墓です。これも本来のイスラーム教とはかけ離れていますが、その気持ち、わからなくもありません(笑)

ヒンドゥー寺院を取り壊してその建材で大急ぎで建てられたアダーイ・ディン・カ・ジョーンプラーは、インド最初期のモスク ヒンドゥー寺院を取り壊してその建材で大急ぎで建てられたアダーイ・ディン・カ・ジョーンプラーは、インド最初期のモスク

2日半で建てられた? インド最初期のモスク

さて、チシュティー廟そばには、もうひとつ見どころがあります。廟の入り口のニザーム門を出て、左側に続く狭い道へ歩いていきましょう。小バザールを抜けていくと、5分ほどで右側に階段が見えてきます。ここを登ると、敷地の向こうに古いモスクが見えてきます。これが「アダーイ・ディン・カ・ジョーンプラー」と呼ばれるインド最初期のモスクです。これは1193年にまだゴール朝の武将だったアイバクが、アジメール征服後に造ったモスクで、名前の意味は「2日半で建てられた建物」という意味なのだそうです。本当に2日半で作られたわけはないのですが、アイバクは征服のシンボルとして早くインドの地にモスクを建立したかったのでしょう。そこでヒンドゥー寺院などの建物を壊して、その石材を転用してモスクを造ったのです。短期間で完成したことから、「2日半」という名が付けられたのでしょうね。

ヒンドゥー寺院の名残が随所に残る

当時、アジメールはヒンドゥーのチャウハーン朝の都だったので、ヒンドゥー寺院を壊してモスクを建てることは、政治的な意味合いもありました。ただし急いで造ったため、壊した石材をそのまま転用した部分もあり、浮き彫り装飾などがそのままになっているものもあります。中に入って天井を見上げると、あきらかにイスラームとは違う模様も見られます。ここも入場無料なので、チシュティー廟に行ったついでに、こちらの遺跡ものぞいてみてください。自由に入れますよ。(その5に続く)