インドで最も人口が多い州のウッタル・プラデーシュ

インド北部にあるウッタル・プラデーシュ州は、インドの空の玄関口となる首都デリーの隣にある、インドでは5番目に大きな州です。その面積は何と日本の約6割(笑)。ざっくり言うと本州と同じぐらいの面積です。人口も約2億人と、インドで最も人口が多い州となっています。まるでひとつの国ですね。代表的な観光地には、インドを代表する建築物のタージ・マハルがあるアグラ、ガンジズ川の沐浴風景も見られるヒンドゥー教の聖地ベナレス、ブッダが初めて説法を行ったサールナートなどがあり、ツアーでも良く訪れる州です。では、この州都はどこだか知っていますか? 実は人口約282万人の大きな都市なのですが、日本ではあまり知られてはおらず、ツアーでも立ち寄ることはほとんどありません。今回はその都市ラクナウをご紹介します。

2016年の春の段階では、あちこちで観光地としての整備が進んでいたラクナウ。写真はリノベーションが進む階段井戸のひとつ 2016年の春の段階では、あちこちで観光地としての整備が進んでいたラクナウ。写真はリノベーションが進む階段井戸のひとつ

ムガル帝国から独立したアワド王国

ラクナウのスペルは「LUCKNOW」で、私は最初、英語の「Luck(運)」や「Now」に関係あるのかと思っていたら全然関係なく(笑)、インドの神様のひとりであるラーマの兄弟のラクシュマナにちなんだものといいます。この都市が発展したのは、18世紀のムガル帝国時代。当時、ラクナウがある現在のウッタル・プラデーシュ州の東部は「アワド」と呼ばれる地方で、そこをムガル皇帝に任命された「ナワーブ」と呼ばれるイスラーム系の太守が治めていました。1707年に最盛期の皇帝アウラングゼーブが死ぬと、ムガル帝国は急速に弱体化していきます。1724年になるとアワドの太守だったサアーダト・アリ・ハーンは、「アワド王国」として独立。当時の首都はファイザバードでした。とはいえ、ムガル皇帝には忠誠を誓い、デリーにペルシャやアフガニスタンなどの外国勢力が侵略してくると、何度も援軍を送っていましたし、サフダール・ジャンのようにムガル帝国の宰相をしていたアワド国王もいたほどです。

繁栄の中でイギリス東インド会社に敗北

1700年代も後半になると、インドに新しい勢力が力を伸ばしてきます。イギリス東インド会社です。当時、国力的には全盛期を迎えていたアワド国は、イギリスに追われて逃げてきたベンガル太守ばかりでなく、デリーから逃れたムガル皇帝も保護していました。そして1764年のプクサールの戦いでこの三者は東インド会社に戦いを挑みます。ところが結果は連合軍の大敗。以降、アワド王国は東インド会社に従属するようになります。東インド会社軍がアワド王国に駐留するようになり、その費用はアワド持ちというように、イギリス勢力への従属化が進んでいくのです。(その2に続く)