「インド大反乱」でイギリス軍が立てこもったレジデンシー

ラクナウその2からのつづきです。さて、ラクナウの観光をしてみましょう。市街地は広いですが、中心部は町の北を流れるゴムティ川と南の鉄道駅の間の4kmほどの間に収まっており、そのうち観光名所となるとほとんどが北のゴムティ川沿いにあります。まずイギリス軍の駐屯地があった「レジデンシー」に行ってみましょう。ここは1857年の「インド大反乱」で激戦地となった場所です。大反乱が起きると、駐屯していたイギリス人とその家族、イギリス人に仕えたインド人兵士など約3000人がここに立てこもり、2万の反乱軍を相手に6か月間防戦しました。広い敷地内には、政府庁舎や教会、学校などの跡が廃墟となって残っています。

レジデンシーの建物。建物の壁には今も砲弾の跡などが残っている レジデンシーの建物。建物の壁には今も砲弾の跡などが残っている

生々しい戦いの跡が残るレジデンシー博物館

レジデンシーの広い敷地には、もっと多くの建物があったようですが、壊されてしまったようです。中央にある現在博物館として使われている建物には、この戦いで被害を受けた砲弾の跡なども残っており、「ここでイギリス人の誰それが死んだ」などと戦いの生々しさを伝えるプレートもありました。敷地の奥には、イギリス人墓地もあります。レジデンシーは無休(博物館のみ金曜休み)で、開場時間は日の出から日没まで。料金は200ルピー(約400円)です。鉄道駅からは4kmほどです。

ラクナウ最大の見どころは、イスラーム教シーア派の宗教施設

このレジデンシーからゴムティ川に沿って北西に2kmほど行くと、ラクナウ最大の見どころである「バーラ・イマームバーラ」という、イスラームの複合施設に出ます。イスラーム教は大きく分けると、多数派のスンナ派と少数派のシーア派があります。シーア派が多いのはイラン、イラクなどで、インドでは人口の約13%を占めるイスラーム教徒の大半がスンナ派です。しかし、ここラクナウの王は珍しくシーア派でした。というのも、独立した時のナワーブ(太守)であるサアーダト・アリ・ハーンは、シーア派を国教とするイランのサファビー朝から移住してきて、ムガル皇帝に仕えた人物だったからです。とはいえ、当時のアワドでは、ムスリム、ヒンドゥー教徒に限らず、有能な者は分け隔てなく登用されたようです。(その4に続く)