墓を作らず遺灰を水に流すヒンドゥー教徒

布にくるまれた遺体が、次々と運び込まれる川辺の焼き場。まきの上に遺体を横たえ、さらにその上にもまきを組んで火をつけます。辺りを見回すと、すでに真っ黒くなり燃え尽きようとする人もいれば、今火をつけられ炎に飲み込まれて行く人もいます。水辺で遺体を焼く、こうした光景は、インドならではのもの。インドの人口の約8割を占めるヒンドゥー教徒は、一部の例外を除いて遺体を火葬にし、遺灰は川や海に流します。火葬の場所は基本的にオープンプレイス。ここでは日本と違って、死は隠されていないのです。

インドの死体焼き場で、人生について考える インドの死体焼き場で、人生について考える

トラブルにも遭いやすいバナーラスの焼き場

そんな「死」と、それに反する「生」を強烈に感じさせる光景は、インド北部の町ベナレスで見られます。ヒンドゥー教徒はガンジス河のほとりで死に、遺灰を河に流せば、魂は天界に上り再びこの世に生まれてくることはないと信じています。そのため多くの人がこの地で死にたいとやって来るのです。ただし、焼き場を見物しようと思ったら少し注意が必要です。ベナレスの有名なガート(沐浴場)、マニカルニカー・ガートの焼き場には、たいてい“たかり”のインド人が現れ、まき代を払えなどと言ってくるのです。中には数人に囲まれて身の危険を感じた、という人もいるので、落ち着いて眺めていられる環境ではないかもしれません。

プリーの海辺にある遺体焼き場

先日インド東部のオディシャ州にある、プリーという聖地を訪れました。ここにも遺体焼き場があり、浜辺近くの繁華街のただ中に、灰の山がいくつも盛り上がっています。燃える火の周囲に暇そうな男たちが立って、遺体が焼けていくのを眺めていました。親族のようには見えませんが、ただの通りすがりなのかどうかはわかりません。そんな中、私もいっしょになってその異様な光景を眺めていました。プリーにはバナーラスほどすれた悪人が少ないのか、うさんくさい人が話しかけてくるようなことはなく、存分に物思いにふけることができました。

明るく簡潔な人生の終わり

火を見つめている男たちは、一帯どんな思いでいるのでしょう。ぼんやりしていると、近くにいたインド人が私に言いました。「ジ・エンド・オブ・ライフ」……人生の終わり。焼けていく遺体を眺める間、その言葉がいつまでも心に響いていました。この人はどういう人間だったのでしょう。どんな人生を送ったのでしょうか。燃え尽きて、ひと盛りの灰になって海に流される人間たち。それは喜びや苦しみなどをすでに超越し、簡単でさっぱりした最後を迎えていました。こんなにもあっけらかんとした、海辺の明るい死。プリーの焼き場は、そんな「死」への考えに思う存分ひたることができる、稀有な場所でした。