被害に遭った村をめぐる

この地震は局地的に起きたようで、わずか数kmの差が激しく明暗を分けました。建物が無事で楽しく授業を受けている小学生たち。その数km先の小学校は全壊しており、先生に聞くと生徒のうち、何人かは亡くなったとのことでした。私はカメラマンと一緒に、被害にあった村を巡り、その悲惨さに言葉を失いましたが、同時に人々のたくましさも知りました。一週間経ったということで、人々の心も落ちついたのでしょう。悲しむだけでなく、「何とか生きなければ」という思いを強く感じました。

天災にあってもサッカーを見たい! ジョグジャカルタでのできごと(後編) 天災にあってもサッカーを見たい! ジョグジャカルタでのできごと(後編)

ワールドカップ、ドイツ大会が始まる

車でわずか20分も走れば、いつも利用している町なかのゲストハウスに着きます。もともとこの地震は大きいことは大きいですが、マグニチュード6.2と、日本ではおそらく大被害にはならない規模の地震でした。一般的な現在の日本の家屋なら、倒壊することはまずなかったでしょう。それが証拠に、被災地でもコンクリートの建物は手抜き工事でもない限りあまり壊れていません。壊れた家はたいていレンガ造りで、亡くなった方はその下敷きになったのです。被災地から宿に戻ると、その晩はワールドカップの日本VSオーストラリア戦でした。宿に泊まっている日本人や外国人は、みなテレビの前に集まって試合を見ています。私もそのうちの一人でした。試合は最初の1点は日本が入れたものの、残念ながら日本の負けに終わりました。

仮設テントでワールドカップを見る人々

翌日、また村を回りました。ある被災地では、村人に「昨日の試合、日本は残念だったね」と逆に慰めの?言葉をいただきました。家はなくとも、みなワールドカップを見ていることに驚きました。夕方になり、あたりが暗くなってくると、家の解体作業を済ませた人々が仮設テントに集まってきます。みんなで寝起きしているテントには電気が引かれ、テレビがありました。「毎晩ここでワールドカップを見ているんだよ。今晩も試合が楽しみだ」と村人が話してくれました。

明日への活力をサッカーの試合から得る

ジョグジャカルタを発つ前の晩、私はベチャと呼ばれる人力三輪タクシーで移動していました。暗がりにある露店で、どこからか電気を引いて、男が小さなテレビを見ていました。番組はワールドカップでした。そのころは昔と違って、私もサッカー観戦が大好きだったので、彼らの気持ちがよくわかりました。その姿を「たくましい」ともとれるでしょう。しかしあのイラン映画の題名と同じで、いいことや悪いことがあっても「そして人生はつづく」のです。生きるためには、明日へのエネルギーが必要です。そんなとき、サッカー選手たちの活躍は、大きな力になるのでしょう。