かつてはバティックの工房街だったプラウィロタマン通り

以前、この通りの宿のオーナーたちに話をうかがう機会がありました。その時わかったのは、この通りにある昔からあるゲストハウスは、みなある一家の姉妹が経営しているということでした。かつてこの通りは、バティックの工房が並ぶ通りでした。ジョグジャカルタはバティックと呼ばれる“ろうけつ染め”の布で有名な町です。手染めのバティックは熟練を要し、なかなか手間のかかる仕事です。工房は小さなもので10人程度、大きなものでは数十人が働いていました。工房に隣接した住居には、経営者の家族だけでなく、住み込みの人もいたでしょう。そんなわけで、この通りにはそのままゲストハウスに改装できるような、広い敷地と多くの部屋を持った“お屋敷”的な家が多かったのです。

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バティック工房がゲストハウスとして再生

1970年代に入ると、工業化の波が押し寄せ、昔ながらの手染めのバティックは安価な工場製品に駆逐されていきました。そのとき、先見の明があった人がいたのでしょう。広い家屋を改装し、欧米人旅行者向けのゲストハウスにしたのです。設備はホテル並みとはいいませんが、ジャワの旧家にステイしているような雰囲気で人気を呼び、そのゲストハウスは繁盛しました。そのゲストハウスを始めた女性には3人の姉妹がいて、この同じ通りにそれぞれ家を構えていましたが、みなそれをまねてゲストハウスを次々オープンしたのです。平均するとそれぞれ20室あまりあるので、もともとかなりのお屋敷だったのでしょうね。その成功を見て、周辺の元バティック工房もその広い敷地を生かして、次々にゲストハウスをオープン。私が初めて行った1990年代にはそうしたゲストハウスがすでに十数軒ありました。

次第にゲストハウス街を形成していくプラウィロタマン

ゲストハウスができて宿泊客が集まれば、次に必要なのはレストランとバー、旅行会社、そして土産物屋です。後を追って周辺にはそうした店が次々にオープンしていき、90年代初頭にはこの通りはかなりのにぎわいを見せました。世界的な景気の良さもあったと思います。夜、通りを歩くと、どの店もにぎわっていたのを覚えています。(その3に続く)