政情不安定の時期には客足が遠のく

しかし97年に起きたアジア通貨危機の影響で翌98年ごろからジャカルタなどで暴動が起き、インドネシアの政情が不安定になったことから、欧米からの観光客の足がパタリと止まりました。2000年代初頭はバリ島で起きた爆弾テロの影響もあり、この頃のインドネシアの観光業はどこも悲惨なものでした。ようやく2000年代半ばには景気も回復し、お客がインドネシアに戻り始めたころ、ジョグジャカルタをさらなるダメージが襲います。

ジョグジャカルタのもうひとつの安宿街「プラウィロタマン」。その歴史と現在を知る(その3) ジョグジャカルタのもうひとつの安宿街「プラウィロタマン」。その歴史と現在を知る(その3)

大地震の被害を受けたゲストハウス街

それは2006年に起きたジャワ島中部地震です。運悪く、その時に生じた断層がちょうどプラウィロタマン通りを斜めに横切っていたのです。その地震の直後に私は訪れたのですが、隣の家は大丈夫なのに、断層の上にあった家は半壊していると、同じ通りでもその被害にはかなりの明暗がありました。この通りでは死人やけが人は出ませんでしたが、補修工事のためいくつかのホテルが、当時、休業を余儀なくされたのです。

今はインドネシア人観光客で活気づく

それでもインドネシア経済が上向きになっていくと、今度はインドネシア人の中で国内旅行が盛んになっていきます。ボロブドゥールやプランバナンといった世界遺産を郊外に擁する、ジャワ随一の観光地であるジョグジャカルタには、昔のような日本人や欧米人観光客ではなく、今度は国内旅行に訪れるインドネシア人が多数訪れるようになります。修学旅行と呼べるものがインドネシアにあるかどうかはわかりませんが、学生の団体ツアーもよく見かけるようになってきました。ソスロウィジャヤンの宿が寂れ気味なのに、こちらは20人以下のグループなら泊まれるほど部屋数が多いのが、幸いしたのでしょう。2013年にプラウィロタマン通りを再訪した時は、この通りの宿泊客のおよそ半数は国内旅行者でした。週末や学校が休みのシーズンになると、どの宿も混み合うといいます。それに比べて外国人旅行者は昔に比べるとリタイア組が多く、高齢化が進んでいるように感じました。

インターナショナルな旅行者の雰囲気を味わいに

このプラウィロタマン通りのホテルやゲストハウスは、たいていインターネットでも予約でき、中級ホテル並みのグレードの部屋もあるので、チェックしてみるといいでしょう。また、泊まらなくても、レストランやバーを目当てに訪れてみてはいかかですか? ハッピーアワーを行っているレストランも多いので、早い時間に行けば安い値段でビールが飲めますし、いまも西欧人旅行者が多いので「インドネシア料理は飽きた」という人ならステーキなどの洋食も充実しています。旅行者向けのランドリーショップもいくつかあり、キロ数十円で洗濯も頼めます。かつてバックパッカーだった人は昔の雰囲気を味わうために行くのもいいでしょうし、若い人はインターナショナルな雰囲気を味わうのが目的でもいいでしょう。