マレーシアの最南端、ジョホール州

半島マレーシアの南にあるジョホール州は、約1kmのジョホール水道をはさんでシンガポールに面したマレーシアの南の玄関口です。州都ジョホール・バルはマレーシア第2の都市で、シンガポールからのアクセスのよさから日帰りの旅行先としても人気があります。免税地区が設けられていたりして買い物や観光で注目されていますが、実は16世紀に成立したジョホール王国以来の古い歴史の町でもあり、地図を片手に散策するとマレーシアの歴史にふれることができます。このジョホールを、大正時代に旅した日本人がいました。「虎狩りの殿様」こと徳川義親侯爵です。

大正・昭和にジョホール(現マレーシアのジョホール・バル)を訪れた「虎狩りの殿様」(前編) 大正・昭和にジョホール(現マレーシアのジョホール・バル)を訪れた「虎狩りの殿様」(前編)

徳川家の殿様、マレーシアへ

徳川義親は尾張徳川家の第19代当主で、1921(大正10)年と1929(昭和4)年に東南アジアを旅行しています。最初の旅のきっかけは、慢性のじんましんのために医者に転地療養を勧められたこと。ところが、北海道八雲町で経営する徳川農場でヒグマによる食害を防ぐために毎年熊を退治していたことから、マレー半島には「虎狩りに行く」と面白おかしく報じられ、その方向で話が進んでしまった、というのがどうも本当のところのようです。

ジョホールのスルタンに謁見

1921年の旅行では、ジョホール州で当時のスルタンのイブラヒムに謁見します。この辺りではジャングルを切り拓いてゴム園などの開発が進んでいたのですが、野生の象が出没しては作物を荒らしたり、虎が労働者に危害を加えたりするので怖がられていました。自身も狩猟好きのスルタンは徳川氏の来訪を喜び、虎や象を狩るよう勧め、領内での特別な狩猟許可を与えた上、家臣に旅の手配を指示します。

マレーのジャングルに入る

6月9日、徳川氏一行はスルタンの船でジョホール河を上ります。最近象に襲われたというゴム園に案内され、掘り返された畑やなぎ倒された木など「ちょうど暴風の過ぎた跡のよう」な惨状を目にします。この頃には、野生生物と、人間の生活する場所が非常に近かったということなのでしょう。この日は猪や鹿を見かけますがうまく仕留められず、翌日いったんシンガポールに戻ります。(後編に続く)