マレー半島伝統の「ニョニャのお菓子」

パステル・ピンクに、やまぶき色に、鮮やかな緑…。見ているだけでも楽しくなるような、カラフルなお菓子がマレーシアにあります。「ニョニャ・クエ」といわれるマレー半島伝統のお菓子で、マレー語で「ニョニャのお菓子」というほどの意味です。「人はオラン 、飯はナシ、魚はイカン、菓子をクエ、死ぬはマテ」という言い方があります。音で工夫したインドネシア語の覚え方で、インドネシア好きによく知られていますが、インドネシア語と共通の語彙の多いマレー語でも、お菓子は「クエ」といいます。

プラナカンが受け継いできた、おいしい伝統のお菓子「ニョニャ・クエ」(前篇) プラナカンが受け継いできた、おいしい伝統のお菓子「ニョニャ・クエ」(前篇)

国際的な貿易港があったマレー半島

マレー半島はヨーロッパと東アジアのあいだにあり、香料を求めてヨーロッパ諸国がアジアをめざした大航海時代から、国際的な貿易港として発展しました。当時の船は、風を帆に受けて走る帆船でしたが、船員たちを休息させたり、食料や水、燃料を補給したり、向かう方角に吹く季節風を待つ「風待ち港」が必要でした。中国のお茶や絹、モルッカ諸島特産のスパイスが集まるマレー半島は、ヨーロッパの毛織物やインドの綿布などを売りたいヨーロッパ諸国にとって、魅力的な貿易港だったのです。マラッカやペナン(現在のマレーシア)、そしてシンガポールにはたくさんの外国人貿易商が訪れ、なかには地元の女性たちと家庭をもち、住みついた人びともいました。生まれた子どもたちとその子孫を「プラナカン」とよびますが、中国やインド、西洋と地元のマレー文化と混じりあった、独特な生活文化が生まれました。

プラナカン女性「ニョニャ」たちの生活文化

「ニョニャ」とは、イギリス領だった頃のマレー半島で、外国人女性に用いられていた敬称・呼びかけ語です。外国人男性は、「ババ」。プラナカンの家庭では男性が外で働き、女性は家事や子育てを担当する一方、使用人の管理もする女主人として家を守るのが普通でした。結婚前の娘は自由に外出できず、立ち働く祖母や母のそばで手伝いながら、礼儀作法や家事を覚えたといいます。主に家庭で過ごすことから手芸も花嫁修業として重視され、たいへん細かいビーズ細工のサンダル、精巧な刺繍で飾られたテーブルクロスや壁飾りなどの作品も残っています。「ニョニャ料理」とよばれるプラナカンの家庭料理は、「炒める」「揚げる」などの中華料理の技法と、ココナッツミルクやスパイスなど地元の食材がミックスした独特な料理です。手間と時間をかけて工夫をこらしたお菓子ニョニャ・クエも、母から娘に台所で伝えられました。

「クエ・アンクー」は亀のかたちをしたお菓子

マレー半島のお菓子と紹介しましたが、ニョニャ・クエはお米をつかったもち菓子ですので、日本人の口にも合うと思います。食べやすいので、わたしは「クエ・アンクー」をよく買います。長寿といわれる亀を模したお菓子で、鮮やかな赤またはオレンジ色をしています。中はあっさりした緑豆のあんで、ほどよい甘さです。ご縁起物の亀のかたちは木の型でつくるそうで、中国系の人たちが大好きなあんといい、中国の文化の影響を感じる一品です。日本の人にも好まれるようで、お店で見かけたら必ず買う、というほど好きな人の話を何度か聞きました。(後篇に続く)