詩人金子光晴がこよなく愛したバトパハの町

マレーシアのマラッカから、バスで2時間ほど南東に行ったところにあるのが、バトパハです。町を歩いていると、「こんにちは!」と日本語で声がかかります。それというのも、この何の変哲もない一地方都市を訪れるのは、日本人くらいだからです。この町は昭和初期、日本の占領下にあり、プランテーションや鉄山関係の日本人が多く暮らしていました。そんな町をこよなく愛したのが詩人の金子光晴です。日本からパリへと向かう途上に訪れ、日本人相手に商売しながらしばらく滞在していたのです。「バトパハの街には、まず密林から放たれたこころの明るさがあった」と著書「マレー蘭印紀行」の中で書いています。彼が逗留したのが旧日本人クラブの洋館で、現在も健在です。この建物を見るために、日本人旅行者はやってくるのです。

この建物の3階に金子は逗留していた この建物の3階に金子は逗留していた

消え去ったジャングルの夢

しかし旧日本人クラブの洋館も、彼が逗留していた3階部分は鳩の住処になっていました。周囲で開発が進む中、この建物もいつまで持つかといったたたずまいです。それでもバトパハ川には、金子が訪れた80年以上前と変わらないように、荷を積んだ船が市場の近くに停泊し、裸の男たちが作業していました。かつてこの川を遡れば、そこはジャングル。金子はジャングルを流れる川についてこんな風に記しています。「川は放縦なまんなかを貫いて緩慢に流れている。(省略)水は、歎いてもいない。挽歌を唄ってもいない。それは、ふかい森のおごそかなゆるぎなき秩序でながれうごいているのだ」。金子はジャングルの倦怠に身を浸す夢をみていました。ところが1980年代以降、開発が急速に進み、金子がうっとり見ていたバトパハ近郊のジャングルなど、跡形もなく消え去ってしまったのです。

作業する船員たち 作業する船員たち

この店がはじめて始めた社会活動

金子が生きていたならば、ジャングルの喪失を誰よりも嘆いたに違いありません。しかし同様に、嘆いた人たちがいたようなのです。1991年ジャスコ・マラッカ店において、この会社ではじめての植樹活動が始まったのです。「ジャスコ」は現在の「イオン」。イオンでは、以来1000万本以上の植樹活動を日本国内外で展開してきました。僕には、金子光晴の残した足跡が、かたちを変えて生き続けているような気がしてなりません。植樹活動を始めた当時のジャスコマラッカ支店の日本人たちも、金子のことは知っていたはずだと思うのです。現在、マラッカのバスターミナル付近に「イオンマラッカSC」の巨大な建物があります。1階のお持ち帰り寿司店は大人気です。マラッカ川の開発で、周辺はのっぺらぼうになってしまいました。ここでもぜひ、植樹活動を展開してほしい。きっとみなさんも、そんな風に思われるに違いありません。

イオンマラッカSC イオンマラッカSC