ヤンゴンのカバーエー・パゴダ

ミャンマー最大の都市ヤンゴンの中心地から空港へ向かう途中にカバーエー・パゴダがあります。「パゴダ」とは釈迦の遺物などを納めた仏塔の英語名(ビルマ語では「パヤー」)。敬虔な仏教国ミャンマーを旅する人は至るところで、このパゴダを目にするでしょう。「カバーエー」とは「世界平和」という意味で、このパゴダはその名の通り世界平和を祈念して1952年、当時の首相ウー・ヌにより建立されました。比較的新しいパゴダですが、仏教的にも重要で日本とも意外な関わりがあるパゴダなのです。

仏教がつないだ日本とミャンマーの兄弟パゴダ 仏教がつないだ日本とミャンマーの兄弟パゴダ

北九州市の世界平和パゴダ

釈迦の入滅後2500年目に当る1954年に、この寺院のすぐそばに造られた人工洞窟で、第6回の仏典結集が行われました。仏典結集とは釈迦の死後行われている仏典の編纂のこと。その式典に全日本仏教会の代表が招待され、「ミャンマー(当時ビルマ)の仏教を日本に紹介したい」との要望が出されます。それを受けて「世界平和」の祈念と「第二次世界大戦の戦没者慰霊」を目的として、福岡県北九州市門司区(当時は門司市)にミャンマー様式の寺院が建立。外観もヤンゴンのカバーエー・パゴダを模して作られ、世界平和パゴダと名づけられました。時に1958年のことです。

なぜ北九州市がパゴダの建設地として選ばれたのか?

第二次世界大戦中、インパール作戦などのビルマ方面に展開した多くの兵士は九州最北端の門司港から船で戦地に向かいました。実際に戦争で当時のビルマに赴いた方から聞いたところによると、門司港からまずはシンガポールに行き、そこからマレー鉄道でタイへ。そしてタイとビルマを結ぶ泰緬鉄道で戦地に赴いたそうです。ビルマに到着したのは門司港を出てから数ヶ月後。残念ながらビルマ方面に展開した兵士の半分以上は、生きて日本に戻ることはできませんでした。そんな経緯もあって、多くの兵士がビルマへ向け出港した門司港のある北九州市が選ばれたのです。

一時閉鎖を乗り越え再開した世界平和パゴダ

建立後はミャンマー人僧侶が常駐、僧院も併設し国内唯一の本格的ミャンマー寺院として活動します。しかし、50年以上にわたり献身的な活動をされていたウー・ケミンダ大僧正が亡くなられて以降、一時的に資金難のため閉鎖。しかしながら、後に関係者の尽力により2012年に再びミャンマーから二人の僧侶を迎え、パゴダは再開しました。昨年はミャンマーより総勢20名の僧侶を迎え、96時間にわたり昼も夜も徹して読経を行うパターン祭という儀礼も執り行われ、創建当時の目的を日々実行しています。ヤンゴンを訪れた時は、日本の「世界平和パゴダ」の兄貴分でもある「カバーエー・パゴダ」にも是非立ち寄ってみて下さい。ミャンマーと日本にある兄弟パゴダを訪れて、仏教がつないだ不思議な縁を感じてみてはいかがでしょうか?