「ランガル」の真の意味を理解しましょう

その2からの続きです。見学とお祈りが済み、献金もしてさわやかな気持ちになったら、食堂へ。シーク教ではすべての人が平等と考えられており、身分や性別、人種などに関係なく、無料の食事を好きなだけいただけるのです。これを「ランガル」と呼びます。ランガルは、バックパッカーの間では、しばしば「“タダ飯”が食べられる」として知れ渡っています。私は、こんな考え方は決してするべきではないと思っています。シーク教の教義をきちんと勉強して、たとえ見よう見まねであっても礼拝をして、敬意を示すことが最低限の義務ですよね。

厨房の大鍋にはいつでも湯気が 厨房の大鍋にはいつでも湯気が

しみじみおいしい、豆カレーとチャイ

そうは言っても、やっぱり無料のカレーはうれしい、そしておいしい! この寺院の食事は、豆のカレーと白飯だけという大変シンプルなものです(場所によってはおかずが何種類もつく寺院もあります)。それでも、辛すぎない素朴な味わいは、お祈りと賛歌で心洗われた身に沁み渡るようなおいしさを感じられますよ。甘いチャイと甘くないチャイ、2種類のチャイもいただけます。自分で蛇口をひねるとジャーッと出てくるチャイだなんて、ふつうのレストランではまず経験できませんよね。

食事という行為が、教義の実践

食堂では、ずらりとインド系の人々が肩を並べて食事をしています。“あらゆる人間が平等である”という教えを、この食事風景そのものが体現しているんですね。その証拠に、食事中はターバン(もしくは頭を覆う布)を取りません。いわば、礼拝の延長の行為といってもいいのかもしれません。この食事は、材料はすべて寄進、調理から片付けまでも無償の労働で賄われています。

シーク教徒との会話を楽しむこともできます

娘と私が手でカレーを食べていると、60歳くらいの男性が話しかけてきました。彼は私たちの来訪をとても喜んでくれて、シーク教の教えについて大変詳しく説明してくれました。彼の家族や仕事のことなども話し、自分のFacebookのページを見せて「これが私の妻で、これが長男」などと教えてくれます。シンガポーリアンが外国人慣れしているといっても、そこはやはり、人懐こくておしゃべりが大好きなインド人の血。だいぶ長時間、おしゃべりをしました。彼は私たちが親子連れであることが、特にうれしかったようです。

観光だけでは得られない貴重な体験でした

娘は、このシーク教寺院探訪の体験で、さまざまなことを感じ取ったようです。「インド人カッコいい! ハンサムばっかり! みんなやさしかった。」などと興奮してもいましたが、やはり小さい子供を含めたあらゆる人々が、同じように祭壇にひれ伏し、大勢で同じものを食べる光景には感銘を受けたようでした。私にとっても、この再訪は親として意義あるものになりました。海外で生活するシーク教徒を知り、異文化を知るために、一度は行ってみることをおすすめします。