page top

出発エリアをに変更しました。

海外旅行の検索・比較サイト|エイビーロード
AB-ROAD
たびナレ 旅に行きたくなる!海外旅行に役立つナレッジ満載
RSS

役立つ海外旅行ナレッジ

観光の合間に立ち寄れる「戦争記念公園」で、シンガポールの歴史に触れよう


掲載日:2017/12/22 テーマ:歴史 行き先: シンガポール / シンガポール

タグ: 街歩き 公園 史跡 歴史


旅先の国の歴史は、知りたくなるものですよね!

今では「チョップスティックス(箸)」と呼ばれているそうですが、不謹慎では……? 今では「チョップスティックス(箸)」と呼ばれているそうですが、不謹慎では……?

旅行者にとって、世界の中でも比較的安全で快適な旅行をしやすい国、シンガポール。外国人旅行者に対してフレンドリーな人々と充実した観光施設のおかげで、ついつい過去の歴史を忘れ、ただ楽しい観光地としてこの国を考えがちになります。けれども、シンガポールの成り立ちは、決して現在のような明るいイメージに彩られたものではありませんでした。独立してからまだ50年余りしかたっていないシンガポールには、太平洋戦争の爪痕を感じさせる遺構やモニュメントが数多くあります。それらは、時間を作ってわざわざ訪れなくても、都会の真ん中にひょっこり現れたりするのです。

エスプラネード駅とシティ・ホール駅に挟まれた超一等地の公園

MRTエスプラネード駅のすぐ前にある「戦争記念公園」、そしてその中でひときわ目立つ塔が「日本占領時期死難人民記念碑」。周囲にはラッフルズホテルをはじめとする高級ホテルが建ち並ぶ、華やかな一帯です。手入れの行き届いた美しい道路や奇抜なデザインの高層ビルに、シンガポールの繁栄を実感します。それだけに、高さ68メートルもある塔と、その麓の「日本占領時期……」という厳めしい文字が目に飛び込んでくると、ギョッとします(碑にある「占」の文字は「にんべん」に「占」と書かれています)。日本人なら浮かれた観光気分が一瞬吹き飛ぶかもしれません。

シンガポールと日本の両政府が協力してできた慰霊塔

戦争記念公園は1967年に作られました。1965年にマレーシアから分離独立したばかりの時期に完成したのです。太平洋戦争で日本がシンガポールを占領した1942年、多数の華人を虐殺しました(華僑粛清事件)。1961年に犠牲者の骨がシンガポールの東側の海岸で多数発見され、この白骨を甕(かめ)に納めて埋葬することになりました。「日本占領時期死難人民記念碑」はその慰霊塔です。慰霊塔の下には、身元の分からない遺骨605甕が埋められています。この慰霊塔の建立には、日本政府も協力しました。

ショッピングやグルメ巡りの間にでも、十分歩けますよ

どこまでも空へ伸びていくような細長い白い塔は、飾り気がない分、強い印象を残します。4本の柱はそれぞれ華人、マレー人、インド人、ユーラシア人を表現しているそうです。またそれぞれの柱の内側には、中国語、マレー語、タミル語、英語の碑文が書かれています。これが作られたのは、マレーシアから分離独立する直前から直後にかけての激動の時期。マレー人の国家・マレーシアとはちがう、多民族国家として船出したシンガポールの気概を感じました。戦争記念公園訪問は、日本軍の過去の行為とシンガポール独立の歴史を思い出す、貴重な時間となるのではないでしょうか。

※記事は掲載日時点での情報であり変更されている可能性もあります。ご了承下さい。(掲載日:2017/12/22)

※旅行前には必ず、外務省の海外安全ホームページで訪問地の安全情報についてご確認ください。
※この記事はガイドレポーターの取材によって提供された主観に基づくものであり、記事は取材時時点の情報です。
 提供情報の真実性、合法性、安全性などについては、ご自身の責任において事前に確認して利用してください。
エイビーマガジンについて

 

キーワードで記事検索

検索