三地門でのふれあいのひとときに気を良くしたが

屋台のおばさんやおじさん、お好み焼きを買いに来るお客さんなどを一目見て気がつきました。「美男美女ばっかり!」台北などの都会に比べ、いきなり目鼻立ちのくっきりとした美男美女率がアップして、私は目を見張りました。ここ三地門は、原住民のパイワン族が多く住む地域です。台湾原住民は、細い目で平たい顔の漢民族とは明らかにちがう、南洋系の顔立ちをしているのです。英語がまったくできないことなどものともせず、彼らは私に気さくに話しかけてくれます。その明るさに力を得て、ジェスチャーと漢字の筆談で尋ねてみました。「私はルカイ族の村、霧台に行きたいのです。どうやったら行かれますか?」

台湾の山奥へ。原住民の村を訪ねようと、女性ひとりでトライ(その2) 台湾の山奥へ。原住民の村を訪ねようと、女性ひとりでトライ(その2)

どこからともなく日本語を話せる老婆が現れて

ところが、屋台にいたみんなはたちまち思案顔に。屋台のおじさんおばさんは、意外にも真剣に「行かない方がいい」と止めてきます。私が困っていると、お客の一人の女性が、屋台の隣の食堂へ連れて行ってくれました。ここで情報を集めろという意味でしょう。その店からもぞろぞろと人々が出てきて、口々に「霧台はやめておけ」と(いうようなことを)言うのです。誰も英語の会話ができないのでますます困っていると、誰かがどこからともなく日本語を話せるおばあさんを連れてきてくれました。この、日本語を話せるおばあさんとの会話は、感動的な体験でした。観光地によくいる物売りのような、商売の必要から話せるようになったのではなく、日本統治下で日本語を覚えさせられた人が発する日本語です。それだけで、重みを感じました。そして、ああ、おばあさんまでもが「霧台はやめておけ」と言うのでした。

日本統治時代に思いを馳せた、おばあさんとの対話

歯のない口で、教え込まれた“正しい”日本語を語る口調は、真剣そのものです。老いのために濁った目でまっすぐ私を見て、「霧台へは、行くべきではない。それは……適切ではない。」老婆が少女だったときに、「適切ではない」という言葉を教えた日本人がいた。その日本人はとっくに死んだだろうし、このおばあさんも、どう見てもそんなに長くないだろう。そうしたら、無鉄砲な日本人旅行者に向かって、「それは、適切ではない」と言って引き止める言葉を発する人間は、台湾には永久にいなくなるだろう……たまに宙に目をやって、記憶をたどって“適切な”日本語を探しながら話すおばあさんと対面していると、浮かれた旅行気分がこのときだけは厳粛な気持ちになりました。

たどたどしい日本語から感じられた真心

「霧台は、とても遠い。山の中です。道は、こわれています。車は、通れない。あなたはひとりですか。ひとりは……よくない。なぜ、ひとりで来たのですか。(すべて日本語)」おばあさんが本気で私を心配して止めようとしているのがひしひしと伝わるので、言うことを聞くことにしました。まだあきらめてはいませんが、ともかくおばあさんと店の人たちに別れを告げ、また歩き始めました。(「その3」へつづく)