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海外旅行台湾編2020/小麦粉で変わった? 台湾の美味しい粉物料理


掲載日:2020/08/30 テーマ:グルメ 行き先: 台湾 / 台北

タグ: おいしい グルメ レストラン 朝食


戦後にやってきた台湾の粉物文化

どろどろにした米粉を固めて作った米苔目。プリンとした食感が美味しい どろどろにした米粉を固めて作った米苔目。プリンとした食感が美味しい

熱々の肉汁があふれ出そうな小籠包子、パリパリの層になった焼餅、牛バラ煮込みがたっぷりの牛肉麺などなど。台湾に行くたびに食べたくなる台湾名物の中には粉物料理が少なくありません。日本よりずっと南部に位置する台湾は、ごはん、お粥、そして米で作った米粉、米苔目(米粉の一種で太いタイプ)などが主食です。もともと粉物料理をあまり食べなかった台湾の人々が、現在のような粉物好きになったのは戦後です。それまでは小麦を大量に栽培していたわけでもないので、急に小麦粉の生産量が増えるわけではないはず。どんな風に粉物料理が定着したのか、台湾の主食について、ちょっと調べてみました。

日本と深い関係がある台湾の稲作の歴史

豚バラ肉の醤油煮込みがのった池上便當。池上便當は、チェーン展開しているお弁当屋さん。池上に行かなくても台北でも買える 豚バラ肉の醤油煮込みがのった池上便當。池上便當は、チェーン展開しているお弁当屋さん。池上に行かなくても台北でも買える

台湾の稲作は、紀元前から行われていましたが、本格的な米作りが始まったのは17世紀と言われています。18世紀初頭に耕地が水田となり、収穫量が飛躍的にふえました。日本統治時代(1895〜1945)に台湾の米作りは大きく変わります。台湾の米は、細長いインディカ米がほとんどでしたが、日本が持ち込んだジャポニカ種との改良が進みます。その努力の結果、生まれたのが「蓬莱米」です。日本統治時代に天皇陛下に献上された池上米は、蓬莱米の最高峰と言えます。日本人が台湾のご飯を食べると、ほっとするのは、日本の味に近いからなのです。

台湾に粉物料理をもたらした人々

涼麺は、大陸からやってきた移民が伝えた粉物のひとつ 涼麺は、大陸からやってきた移民が伝えた粉物のひとつ

日本の敗戦後、大陸での権力闘争に敗れた国民党が、1949〜1955年にかけて多くの家族を引き連れてやってきます。この時に大陸の粉物文化も一緒にやってきました。ここから台湾の粉物料理の歴史が始まります。1943年の台湾の総人口は、658万人。1949年以降、大陸からやってきた国民党とその家族は、あわせて200万人とも言われています(産経新聞「話の肖像画」台湾元総統・陳水扁(14)参照)。米を主食としていたところにいきなり多くの移住者がやってくると、食料不足になる上に、そもそも小麦粉は、足りなかったのでは?

日本とよく似ている?戦後の台湾の小麦粉事情

すっかり定着した粉物文化。同じものでも大陸より美味しいものが多いという声もある すっかり定着した粉物文化。同じものでも大陸より美味しいものが多いという声もある

この問題を解決したのは、アメリカの小麦粉です。戦後、日本がアメリカの余剰作物であった小麦粉を受け入れた話と通じるものがあります。1950年朝鮮戦争が勃発し、反共の砦となった台湾に見返りとして、トルーマン大統領が余剰作物の供与を始めます。これによって、中国の粉物料理が台湾に定着し、広まりました。今のような粉食の習慣がなかった日本は、学校給食をパンにしたり、粉食奨励運動をしたりして、小麦粉を消費しました。台湾では、粉物を必要とする人が激増した時に、小麦粉が入ってきたのは、まさにタイムリーでした。お米も粉物も美味しい台湾に行きたくなってきました。

※記事は掲載日時点での情報であり変更されている可能性もあります。ご了承下さい。(掲載日:2020/08/30)

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※この記事はガイドレポーターの取材によって提供された主観に基づくものであり、記事は取材時時点の情報です。
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