一つの中国、二つの中国の意味とは?

(前編より続く)市民の抗議に対して、政府は強硬措置に打って出ます。蒋介石が本土から国民党軍を増員派遣し、政府に反対する者や、自治を唱える知識人層に、徹底的な弾圧を加えていくのです。これまでも日本統治時代に、知識人層の間では、台湾の自治権獲得に向けて運動が行われてきました。それが中華民国に属するようになって、内省人と外省人の差別的社会構造の中で、息を吹き返したのです。政府の弾圧は熾烈を極めます。1949年には、国民党軍は中国本土で中国共産党軍に敗北、蒋介石は故宮の財宝とともに、台湾に逃げのび、台湾を、大陸奪還の最前線と位置づけ、ここに中華民国と中華人民共和国の二国が生まれることになったのでした(中華人民共和国では否定しています)。228事件から騒乱の続く台湾は、中華民国が戒厳令を布いたのはこの年の5月。蒋介石と蒋経国親子による国民党強権政治の始まりでした。

中正紀念堂(中に蒋介石の銅像がある) 中正紀念堂(中に蒋介石の銅像がある)

白色テロ

台湾と中国本土の間では軍事的緊張が続きます。国内では弾圧も続き、これを人々は「白色テロ」と呼びました。弾圧の末、日本などに逃げ延びた知識人もいましたし、殺害された日本人もいました。戒厳令が解かれたのは1987年のこと。1989年に映画『非情都市』が公開されると、この作品はヴェネツィア音楽祭でグランプリを受賞し、台湾の歩んできた苛酷な歴史が、世界に知られたのです。1988年には蒋経国が死亡、李登輝が総統に就任し、民主化が推し進められるようになったのです。1992年に行政院は、228事件の犠牲者数を18000人〜28000人と推定を発表。1996年には初めて正副総統の直接選挙が実施されることになりました。この年台北市長だった陳水扁(のちの台湾総統)が、この公園を「二二八和平公園」と命名し、記念碑が置かれたのです。そうやくタブー視された事件が明らかにされていくのです。

二二八記念館には感動! 必見です

こうして2月28日は「和平記念日」となり、政府の関係各機関や学校で半旗が掲げられるようになりました。事件発生からすでに50年以上が経ち、粘り強く活動し続けてきた台湾の人々には頭の下がる思いがします。台湾の人々は、日本統治時代から含めると100年を費やして、言論の自由と、内省人と外省人の対立の融和に向けた道標を、自ら切り拓いたのです。それにしても、台湾は、いかにこれまで、日本や蒋介石、毛沢東、中国といった力に振り回されてきたことか。二二八記念館を見学すると思い知ります。台湾〜中国間で定期便が飛び始めたのは、2009年になってから。今後も「二つの中国」なのか、「一国二制度」なのか、常に台湾政府も台湾国民も、この問題に直面しているのです。それは討論し尽くして、解決するしかないでしょう。2016年2月には、228事件の日本人犠牲者の遺族青山恵昭に、約2000万円の賠償金が支払われることが認められました。