第一次海外渡航ブームは、“戦国時代”?

戦国時代、日本で一番人気の職業は“サムライ”でした。戦いに明け暮れていた時代では、兵士はいくらでも仕事があったことでしょう。しかしいざ日本が統一されて平和な時代が来てしまうと、“勝ち組”のサムライはいいですが、“負け組”のサムライたちは失業してしまいます。“浪人”ですね。そうした浪人たちや、迫害され始めたキリスト教徒、はたまた新天地に活路を見出そうとする商人や農民たちが、この頃東南アジア各地へと旅立ちました。人口が多いところには、「日本人町」もできました。そんな中でも有名なのが、タイのアユタヤにある日本人町なのです。

タイに残る400年前の日本人町の跡・アユタヤ タイに残る400年前の日本人町の跡・アユタヤ

リクルートされたサムライたち

貿易で栄えたアユタヤ王国では、さまざまな国の人たちが暮らしていました。日本人以外にも、中国人やポルトガル人などが17世紀初頭には住んでいました。日本人町には最盛期には1000〜1500人の日本人が住んでいたというから驚きです。何でこんなに日本人がいたかというと、当時ビルマと常に戦闘状態にあったアユタヤ王国は戦力が必要で、そのために日本人の傭兵隊を雇い入れたと言います。これはアユタヤに限ったことではなく、当時仕事にあぶれたサムライたちは、オランダ、イギリスなど各国に雇われて、東南アジア各地で働いていたのです。

日本人町と山田長政

その日本人町で頭角を現し、やがてタイ王室にも政治的な力を持つようになった日本人が山田長政です。しかしやがて長政や日本人の力を怖れた反対派により長政は左遷され、1630年にその地で毒殺されてしまいます。そして日本人町は焼き討ちに遭い、多くの住民が虐殺されました。しばらくして日本人町は再興されますが、かつての勢いはなく、やがて自然消滅していきます。

ひっそりと残る日本人町跡

現在、日本人町があったとされる川沿いの場所には記念公園が作られ、記念碑や博物館、日本庭園などがありますが、当時の遺物などが残っているわけではありません。ただ、このあたりで、かつて多くの日本人たちが暮らしていたと想像してみると、なかなか感慨深いものがあります。付属の博物館では、当時の日本とタイの交流についての解説が詳しく展示されているほか、ビデオ上映などもあるので、アユタヤ観光の際にはぜひ寄ってみてください。