僕が海外を目指した理由とは?

僕が初めて海外に旅立ったのは21歳の時、1985年のことでした。通っていた学校を中退し、就職するのもなんだし、これからの人生のことでも考えてみようと思ったのです。しかもインドに行けば、月に100ドルあれば旅ができるとのこと(今でも数百ドルあれば十分でしょう)。時間を安く買うような感覚でした。言葉はもちろんできません。それでもリュックひとつとガイドブックだけを持って1年くらい旅をしようと考えていました。当時の格安チケットは、エジプト航空でマニラとバンコクを経由し、バンコクで1泊。さらにバングラデシュ航空に乗り換えてダッカで1泊、インドのコルカタまで4日かかりました。初の海外で一人旅ですから、成田空港で飛行機に乗る前からドッキドキです。機内食が妙においしく、しかも異国の匂いがしてうれしかったです。乗り継ぎのマニラでは、外国人にまじって『サンミゲル』というビールを初めて飲みました。

現在の羽田空港出発ロビー 現在の羽田空港出発ロビー

何もかもが初めてという新鮮さ

バンコクでは、チャオプラヤー川にほど近い中級ホテルが航空券に付いていました。よくわからないまま散歩していると、学生らしい若い男が声をかけてきました。「川の向こう側に行ってみませんか? 仏教寺院があるんです」。それが三島由紀夫著『豊穣の海』に出てくる暁の寺こと「ワット・アルン」だと知ったのは、後年のことです。寺よりも、そのタイ人青年とのやり取りが面白かったです。こちらは片言の英語で、向こうも片言の日本語を話します。本来なら知らない人について行ってはいけないことを、教わるはずなのですが、田舎者の僕には、そうした警戒心など皆無でした。しかも渡し船の代金は彼が払ってくれ、再び戻ると今度は大学の学食でタイ風のぶっかけ飯をごちそうしてくれました。この大学はタイの名門タマサート大学でした。彼は日本語学科の学生だったのです。僕は素直に彼の親切に礼を言い、別れました。

眠れぬバンコクの夜

ホテルで夕食をとっていると、同じ便でコルカタへ向かう日本人旅行者Kさんと会いました。彼曰く、「よく騙されなかったな」ということです。そして夜、部屋に入ってしばらくすると、誰かがノックします。Kさんかなと思ってドアを開けると、若い女性が立っていました。彼女は何も言わずに部屋に入ってきます。ベッドに腰かけ、ありたっけの英語を駆使して、僕に訴えるように話します。僕も椅子に座って神妙に話を聞きました。何度も聞いて、ようやく趣旨がわかってきました。気持ちが伝わるというやつですね。しかし、彼女の気持ちはわかっても、どうしようもありません。危険なことは避けるべきだし、そもそも僕にその気はなかったからです。これからインドで始まる貧乏旅行に先立って、大金を使うこともできないからです。その後は押し問答の繰り返し。1時間粘った挙句に、彼女は残念そうに部屋を出ていきました。そして僕は、眠れぬバンコクの夜を過ごしたのです。(後編へ続く)